「認めなさいリリスティア! レミリーとフランのために!」

 志貴のいなくなった教室。そこでは、同じ問答が繰り返されていた。

「貴女でしょう! 貴女が二人を殺したんでしょう!」

 叫びながら、殴り続けるシエル。

「……違う」

 殴られながら、否定し続けるリリス。

「どうして!? どうして認めないのです!?」
「だって、私じゃないから」

 リリスは否定しかしない。決められた言葉を繰り返すロボットのように、同じ言葉を繰り返す。

「うああああああああああ!!」

 野球のオーバースローのように、地面と水平に投げ飛ばす。物凄い勢いで飛んでいくリリスは、本当にボールのよう。

「かはっ……はっ……」

 額から壁に突っ込み、頭蓋骨が砕けないのが不思議なほどの衝撃がリリスを襲う。曖昧な意識をかき集め、リリスは苦しげに呼吸を繰り返す。

「私……じゃ、ない」

 強く打ち付けた額を壁に押し付けたまま、両手を添えて何とか倒れまいとする。がくがくと震える足は、もうほとんど使い物にならない。

「レミリーも、フランも、大好き。私に、二人を、殺す、なんて――」
「黙りなさい」
「絶対に、違う。私じゃ――」
「黙りなさいと言っているでしょう!!」

 無防備な、少し丸まった背中を蹴りつける。辛うじて支えていただけの両手に大した力が入っている筈も無く、強かに胸を打ちつけた。シエルの足と壁とのサンドイッチは、消えかけていた意識を消し飛ばすのに十分な威力を持っていた。ゆっくりと崩れ落ちる様は、あたかも糸を切られた操り人形のよう。

「勝手に――」

 重力に逆らうようにシエルの目の前まで舞い上がった銀の髪。それを乱暴に掴み、引っ張り上げるようにして無理やり立たせた。

「あぐっ……!」

 痛みに、リリスの意識が戻る。足に力は全く入っておらず、髪を掴まれて宙吊りにされているような感じがした。

「勝手に眠るなんて許しません!」

 ベチャ……と嫌な音が響く。リリスの後頭部を無造作に掴み、壁に叩きつけた音。顔中血だらけのリリスの顔は、叩きつけられると水っぽい音を立てた。

「認めなさい! 認めなさい! 二人に謝りなさい!!」

 叩きつける。何度も何度も。その度に、リリスの意識は消失と覚醒を繰り返す。

「――――――――」

 衝撃に意識を失い、その痛みによって意識を取り戻す。そんなまともではないことを繰り返す内に、リリスはぼんやりと思ってしまった。
 痛いのは自分よりも、泣きながら腕を動かし続けるシエルなのだと。

「私じゃ、ない」

 それでも、リリスは否定し続けた。絶対に違うと、強い意思を持って。
 なぜなら、リリスティア・スカーレットは――

「殺してなんか、ない」

 何一つ、嘘など言ってはいなかった。






「はっ、はっ、はぁ……!」

 志貴は走る。全力疾走のつもりでも、スピードは全く上がらない。

「くっ……はっ……!」

 腕、足、どちらも動かす度に激痛が走った。原因はリリスとのゲーム。限界を超えて酷使した四肢は、今になって大きな重荷となっていた。

「急が――ないと」

 それでも、志貴は止まることはない。足以上に酷い腕は振ることを諦め力を抜き、足の痛みは気合で捻じ伏せ、走り続ける。腕をブラブラさせながら苦しげな表情で走る。どれだけ自分が不格好かなど、考える余裕さえなかった。

「リリスさん……シエル先輩……!」

 ひたすらに走り続ける。脇目も振らず、一直線に。

 志貴――

 呼びかけられた声など、聞こえる筈もない。

「ちょっと、志貴ってば!」

 声の主は、慌てて志貴を追う。無視されたことに少なからず腹を立てたものの、その様子はとても無視できるものではなかったから。

「志貴!」

 ブラブラと無様に揺れている腕を掴む。それだけで、志貴は簡単にバランスを崩し立ち止まった。

「ねえ、志貴! どうしたの、聞いてる!?」

 必死に声をかけてくる誰かに無意識に目を向けた志貴は、

「アル――クェイド」

 必死に探していた人物を、思いがけず早く見つけることが出来た。

「志貴、どうしたの? って何この腕、一体何を――」
「アルクェイド! 今すぐ、学校に行くぞ」
「はあ?」

 アルクェイドは目を点にした。無理もない。服の上から掴んだ腕は得体が知れないほど酷使されていて、その上学校に行く、などと訳の分からないことを言い出したのだから。

「いいから、事情は後で話す。すまないけど、担いでくれないか。俺、もう――」

 ガクン、と崩れ落ちる。慌てて、アルクェイドは抱きつくように支えた。

「ちょっと志貴!? ねえ、何をどうしたらこんなにボロボロになるのよ!」
「俺のことなんていいから、早く学校に……早く行かないと取り返しがつかなくなる」
 アルクェイドを見つけたことで緊張感が抜けた志貴は、もう一歩も動けない。全体重をアルクェイドに預けたまま、自分の意思を必死に伝える。

「何が何だかさっぱり分からないけど……学校に行けばいいのね? でも、わたしは入っちゃダメだって――」
「いや、今はそんなこと言ってる場合じゃないんだ。アルクェイドじゃないと先輩を止められない」
「シエル? シエルが――ま、後でいいわ」

 質問を中断したアルクェイドは、いわゆるお姫様抱っこというヤツで志貴を抱え、
「飛ばすわ。体が治ったら一日中付き合ってもらうから、覚悟しておきなさい」
「ああ、了解」

 力強く地面を蹴った。






 志貴は、学校に着くまでに大まかな内容を説明した。
 シエルが転校生のことを憎んでいること。そして、今その転校生を殺そうとしていること。リリスは大丈夫だと言ったものの、余計なことを口走ってアルクェイドにゆっくりと行かれても困るので、そこら辺は黙っておいた。

「とにかくわたしはシエルを止めればいいのね」
「ああ。後のことはそれから考える」

 瞬く間に学校へと辿り着く。教室の場所を教えようとした志貴は、アルクェイドが全く速度を落とそうとしないことに気付く。

「アルクェイド? おまえどこに行くか分かってるのか?」
「分かるわよ。あんなに目立つ結界、誰にだって感じられる」

 そう言って、アルクェイドは校舎の中へと入る。もちろん、靴は履いたままだ。
「相手はどうやら魔術師のようね。でも、あんな下手にしか結界を張れないっていうことは余程腕が悪いか、或いは結界を維持する余裕さえ無いか」
「――そっか」

 志貴の声に僅かに暗いものが混ざる。苦しんでいるリリスの姿が頭をよぎる。言葉にされてしまうと、悪い想像ばかりが膨らんでしまう。

「まだせいぜい重症ってところでしょうね、その魔術師さんは」
「え?」
「本当に死にかけているのなら、結界を維持することなんて出来るわけないのよ。体が勝手に魔力を傷の治癒に回すから」
「――――」

 前を向いたまま素っ気無く言ったアルクェイドの顔を見つめながら、志貴は自分が柔らかく包まれているような感じがして。

 サンキュ、アルクェイド。

 心の中で礼を言った。言葉に出すまでも無い。視線を合わせる必要さえ無い。

「――気を引き締めなさい志貴。あそこでしょう、シエル達がいるのは」
「ああ」

 アルクェイドの言葉に、志貴は僅かに緩んだ顔を引き締めた。今し方出たばかりの教室。教室を出る前の光景が思い出される。

「ここでいいよアルクェイド。ドアを開けるときくらい自分の足で立ってなきゃ、格好が付かないからさ」

 ドアの前で、無言で志貴を降ろす。足をついた時に顔を歪めたのは見なかったことにした。

「先輩……」

 志貴は噛み締めるように呟いた後、ドアに手をかける。一つ大きく深呼吸してから、一気にドアを開けた。



「せん、ぱい」

 喉が張り付いてしまったように、声が出ない。

「遠野くん、どうして」

 どうして戻ってきたのか、と涙を流し続ける目が語っている。

 夕日に照らされた教室で、シエルはもっと赤い血の海の上に立っていた。
 まともな人間であるならとても生きているとは思えない量の血が、壁をつたって床に広がっている。
 リリスを叩きつけていた壁は、大きく陥没していた。それこそ、もう少しで隣の教室と繋がってしまうんじゃないかという程に。
 リリスに意識は無く、ピクリとも動かない。壁に押し付けられた顔は見えないものの、結界が無ければとても生きていると信じられる状態ではなかった。

「また随分と派手にやったものね。後始末どうするつもりよシエル」
「……アルクェイド」

 充満する血の臭いが不快なのか、不機嫌そうに言う。

「ま、後のことなんてわたしの知ったことじゃないけど。それより、その人を離してさっさと消えなさい」
「なっ……! アルクェイド、貴女には関係――」
「あるのよ、志貴に頼まれちゃったから。どこかで暴走してる馬鹿女を止めてくれってね」
「遠野くん、あなたは――」
「ごめん、先輩。でも俺はリリスさんを放っておけない」

 泣き腫らした顔が、志貴を見つめる。しばらく呆然とした後、どこからか取り出した黒鍵を後頭部に突きつけて、

「消えるのは貴女ですアルクェイド。遠野くん、あなたもさっさと帰って下さい」

 ビデオテープを再生するように、同じ行動を繰り返した。
 再び動けなくなる志貴を尻目に、アルクェイドは一歩踏み出して言った。

「止めておきなさいシエル。今ならそいつを刺すよりもわたしの方が速い。そのくらい、分からないとは言わせないわよ」
「――――」

 無言で黒鍵を引いたシエルは、後頭部を掴んでいた手を離した。バシャッと音を立てて、リリスの体が血の海へと落ちる。

「――――」

 シエルは、無言でアルクェイドとその後ろにいる志貴を一瞥し、反対側の扉から逃げるように出て行った。

「先輩!」

 慌てて追おうとする志貴を、アルクェイドが腕を掴んで止める。
 動くたびに体中に激痛が走る志貴に、アルクェイドの腕を振り解くことなど出来る筈も無かった。

「貴方は何をしに来たの志貴。コイツの治療が先でしょ」
「あ……ああ、そうだ」

 どことなく苛立ちを含んだアルクェイドの声を不思議に思いながら、リリスの元へと駆け寄る。

「リリスさん! リリスさん!?」

 頭部を強打し続けているために下手に動かすのは拙いと判断した志貴は、とりあえず意識を戻そうと声を張り上げる。

「魔術師、銀色の長髪……リリスという呼称」

 屈んで必死に声を張り上げる志貴を見下ろしながら、アルクェイドは呟く。

「こんな所で会うなんて、考えもしなかった」

 自分の出した否定しようが無い結論に苛立ちながら、アルクェイドは志貴を押しのけた。

「……アルクェイド?」

 訳の分からないアルクェイドの行動に、志貴は訝しげにその名を呼び――

「何をやってるんだ!」

 次の瞬間、叫んでいた。

「何って、ただ起こそうとしてるだけじゃない。何か文句ある?」

 髪を引っ張って無理やり体を起こし、胸倉を掴む。志貴が止めようと腕を掴んでくるが、そんなことはお構い無しに、

「……さっさと起きなさい」

 パンッと軽い音を立てて、リリスの頬を張っていた。

「そんなことして、もし何かあったら――」

 志貴の言葉を無視して、頬を張り続ける。少しずつ強くしているのか、音がどんどん大きくなっていく。

「さっさと起きなさい。……リリスティア・スカーレット」

 一際大きな音が響く。それを目覚ましにするように目を開けたリリスは、瞬間その目を大きく見開き――

「アル、クェイド……ブリュンスタッド……?」

 呆然と、その名を口にした。

「全く、こんな所来るんじゃなかった。どうしてこんなヤツ助けなきゃいけないのよ」
「アルクェイド? 知ってるのかリリスさんのこと」
「……知らないわよ、こんなヤツ。それで、どうするの? このまま置いていって良いのならわたしは帰るけど?」
「なっ、このまま置いていける訳無いだろ!? とはいえ――」

 遠野の屋敷に連れて行ける筈無いし、アルクェイドの所も無理。となると、残るはリリスさんの家だけ、か。

「リリスさん、家どこ?」