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 雪が降っていた。



 漆黒の闇から舞い降りてくるそれは、私の全身に、そして大好きな人に絶え間なく降り続けていた。
 
 熱くなった体に、雪が気持ちよかった。大好きな人の顔が、私を優しく見下ろしていた。

 あと数分で日付が変わる。私は一つ年を取る。普通の女の子ではなくなる……。



「栞」 
 感情を抑えたような、抑揚のない声で私の名を呼んだ。
 嬉しそうだった。
 辛そうだった。
 悲しそうだった。

 時計が、ちょうど零時になったことを私たちに知らせた。私は、一つ年を取った。 

「誕生日、おめでとう……」



 私の普通の日々は、終わった。











 祐一さんに出会ったことで手に入れた掛け替えの無い時間は、あっという間に過ぎていった。
 私に出来る事は、この病院で静かに時を過ごす事だけ。あの世へと旅立っていく準備をする事だけ。


 嫌だ。死にたくない。


 そんな感情が私を支配していた。祐一さんとの日々を思い出すたび、胸に込み上げてくる暖かさ。それは私の大切な生きた証であり、悲しみを増幅する触媒だった。
 死を受け入れ、意味も無く毎日を過ごしていた以前の私なら、死が間際に迫っている瞬間でさえも何の感情も無かっただろう。電池が切れるように、静かに、一生を終えた筈だった。


 でも、私は祐一さんに出会った。ドラマなら奇跡と形容されるような、偶然の出会い。その出会いによって、私の中の何かが、再び動き始めた。
 
 祐一さんは、私に普通の時間を与えてくれた。私は、その限られた時間を精一杯楽しみ、精一杯生きようと思った。  

 
 必死に担当の先生を説得して、学校に行った。身を切り裂くような寒さの中、商店街を歩き回った。私のお気に入りの公園で、子供の様に雪合戦に興じた。祐一さんの家に行った。そして、プレゼントを貰った……。
 

 思い出すたび、涙がこぼれた。祐一さんの前では決して見せなかった涙は、もう留まってはくれなかった。
 祐一さんの前では、私はいつも笑顔だった。いつも楽しかったというのが半分。祐一さんに迷惑を掛けたくなかったというのが半分。

 悲しみに押し潰され泣き崩れたとしても、祐一さんは私を優しく包んでくれただろう。包まれたいと思ったこともあった。でも、普通の時間をくれた祐一さんに、これ以上甘えたくは無かった。


 暖かさと思い出と悲しさを伴って、あの世へと旅立って行く。残念で、悲しくて仕方なかったが、後悔はしていなかった。
 何も無い筈だった私にたくさんのものを与えてくれた祐一さんに、私は心から感謝していた。









 でも。









「栞ちゃん、病気が回復に向かってるんだ!」
「……はい?」

 突然の先生の言葉に私は首をかしげた。冗談にしては性質が悪いな、と思った。でも、興奮した様子の先生の言葉は止まらなかった。

「本当なんだ! 体も随分楽だろう?」
「まあ、そうですが」

 確かに、私はあまり苦しくなかった。体の調子なんてその日その日によって違うから、今日はたまたま少し調子の良い日なんだろうと思っていた。

「まだ何が起こったのか僕たちにも分かってないんだ。突然悪化するかもしれないから油断は出来ないけど――」





 先生は喋り続けた。私はどこか上の空で、捲し立てる先生を眺めていた。












 数日経った。私の体は、好調を保っていた。そろそろ尽きるはずだった私の命は、何故か元気に燃え始めているらしかった。
 過去は、ドラマに出来る程何度も振り返った。私は、次第に時間を持て余し始めた。

 テレビをつけてみた。相変わらず、都合のいい何かの起こるドラマが続いていた。
「私も、こんな都合のいいヒロインになれるかな……」

 それは、願い。
 それは、欲望。
 
「私、結構欲張りだったんだな」
 一人、呟いた。自然と、笑みがこぼれた。











 また数日経った。体は、相変わらず好調を保っていた。私は、淡い期待を抱き始めていた。
 元気になれるかもしれない、と。
 お父さんが、お母さんが、そしてお姉ちゃんが、毎日私の病室へ来てくれていた。先生の話を聞いたのだろう、みんな笑顔が絶えなかった。お姉ちゃんはなんでもないような顔をしていたけど、嬉しさが全身から伝わってきた。

 その中に、祐一さんの姿は無かった。当然だ。私が何も知らせていなかったのだから。誰にも言わないように、家族に念を押していたのだから。
 中途半端な希望を持たせて喜ばせるのは悪いと思った。

 死んだと思っていた人間が実は生きていた。ドラマになりそうな話だ。でも、もしその人間が再び死んだとしたら――。

 私はまだ自分の体に疑問を持っていた。もう絶対に大丈夫だと確信が持てるまで、私は会いたいという気持ちを抑えることに決めていた。











「栞ちゃん、もう大丈夫だ。君の体は正常に近づいているよ」
 さらに数週間後、私は先生にそう言われた。その顔は、以前の興奮した顔ではなかった。検査を繰り返し、いろんなデータを取って、もう大丈夫だと判断した医者として自信を持った顔だった。

 その顔に、私はようやく確信を抱いた。もう私は大丈夫なのだと。
 私は、祐一さんに連絡することに決めた。
 
 受話器を持つ手が震えた。緊張か、喜びか、私には判断が出来なかった。私はいったん受話器を置いた。何度か深呼吸をした。再び、受話器を手に取った。
 震えは止まらなかった。私は一人苦笑し、震えを押さえることを諦めた。

「もしもし――」





 廊下を猛スピードで走ってくる音が響いてきた。私は、とびっきりの笑顔で待ち構えてやろうと、鏡と睨めっこをした。



「栞!!」

 私の努力は、無駄に終わった。汗だくになって病室に入ってきた祐一さんの姿を見た瞬間に、目からは涙が溢れた。












「なあ、本当にあの学食のカレー辛かったのか?」
「辛いものが苦手なんです! もうちょっと甘ければ何とか食べられそうですけど」
「あれより甘いのなんてカレーじゃないって。ほんとにお子様な舌だな」
「酷いですよ祐一さん。そんなこと言う人嫌いです」

 祐一さんは毎日病室に来てくれた。他愛ない会話のやり取りが、本当に楽しかった。











 私の体は、順調に回復に向かっていた。退院まで片手で数えられるようになった頃、ふと祐一さんは私に言った。

「退院したら、すぐ俺の家に来てほしい」
「迎えに来てくれないんですか?」

 私はむーっとした顔で言った。来てほしい、という意思表示。
 でも、祐一さんは首を縦に振ってはくれなかった。
 何か、隠しているようだった。











 退院の日。祐一さんの姿は無かった。意表をついてひょっこり現れるのも祐一さんらしいと思ったのだが、私の当ては見事に外れた。

「私たちだけじゃ不満かしら?」
 からかいを含んだお姉ちゃんの声。キョロキョロしていた私の姿は、誰の目にもそう思わせた。

「行ってらっしゃい、栞。あまり遅くならないようにね」
 
 迎えに来てくれた人たちと違うところに行くのは、なんだか凄く妙な感じがした。それは、迎えに来てくれたお父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも同じらしかった。みんな、その顔に苦笑を浮かべていた。

 私は、とびっきりの笑顔で言った。
「行って来ます!」















 私は今、祐一さんの家への道をのんびりと歩いている。久々の外の空気は、随分と暖かくなっていた。一面に広がっていた雪景色は姿を消し、代わりに満開の桜が私を迎えてくれた。

 前に祐一さんの家を訪れた時は、最後だと思っていた。私が祐一さんの家を訪れるのも、普通の女の子でいられるのも。

 でも、今は違う。今日は始まりの日。私と祐一さんが長い時を刻んでいく、スタートの日。


 家が見えてきた。私の胸は自然と高鳴る。家の前で深呼吸。冷静さを取り戻してから、私はチャイムを鳴らした。



「よう、栞」
「退院できましたー」

 私の言葉に、ドアから顔を出した祐一さんはにこっと笑う。この笑顔を見ただけでも、今日ここに来た甲斐があるものだと思った。

「久しぶりの外はどうだ?」
「知らないうちにとっても暖かくなっててびっくりしちゃいました」
「結構入院してたからな」
「まだ定期的に通うことになってますけどね」

 何気ない私の言葉に祐一さんの表情が少しだけ曇る。

「大丈夫ですよ、あくまでも検査ですから。どこか悪いという訳じゃないです」
「まあ、分かってるんだけどな」

 それでも心配してくれるのが祐一さん。……優しいですね。
 私の顔は綻んでいる事だろう。私の顔を見つめる祐一さんは首を傾げている。
 
「とにかく上がれよ、こんなところで話し込んでも何も始まらないからな」
「はい」



 祐一さんの家に来るのは今日が二度目。やっぱり少し緊張する。前を歩く祐一さんについて、私は祐一さんの部屋に入る。

「あっ……」
 思わず声が出る。部屋の中で、美味しそうに焼けたクッキーが良い香りと共に私を迎えてくれた。

「まだ温かいから、冷めないうちに食べようぜ」
「もしかして、祐一さんが作ったんですか?」
「これ作ってたから迎えに行けなかったんだ。どうせ食べるんなら温かい方が良いだろ?」

 祐一さんの手料理――といってもお菓子だけど――をご馳走になるなんて、正直思っても見なかった。
 祐一さん料理できるのかな? なんて失礼な考えが頭をよぎる。

「大丈夫だって、味は保証してやるよ。これ作ったのは初めてじゃないしな」

 何処と無く自信有り気な祐一さん。私は鎌をかけてみた。

「もしかして、私の為に何度も練習したんですか?」
「それ以外に何が……あ」

 意外にも口を滑らせた祐一さんは決まりが悪そうにそっぽを向く。私はもうちょっと追い討ちをかけてみる。
  
「大好きな女の子の為にこっそり料理の特訓ですか。祐一さんもなかなか可愛い所があるんですね」
「……知るか」

 私の言葉に素っ気無く答えながら、祐一さんは傍らのポットから紅茶を注ぐ。紅茶は出来れば沸騰したての熱湯を使って欲しいものだが、台所から離れている以上仕方が無い。

「ほらよ」
 カチャ、と音を立てて私の前にティーカップを置く祐一さんの表情は、まだぶすっとしている。そんな祐一さんを見ながらニコニコしている私も、祐一さんがぶすっとしている要因の一つかもしれない。

「それでは、いただきまーす」
「あ、ちょっと待て」

 手を伸ばそうとした私を制して、祐一さんは三枚だけ入っているミニサイズのバスケットを差し出す。
 

「味はこの三種類だ。先に味見してみてくれ」
「味が違うんですか? 見た目は同じみたいですけど」

 言いながら、私は手を伸ばす。一つを手に取り、口に運ぶ。


「あ、なかなか上手く出来てますね。甘さ控えめといったところですか?」
「感想はいいから、早く他のも食べてみろよ」

 何時の間にか機嫌が直っている祐一さんは私を急かす。少し顔がにやけているのが気になったが、きっと早く食べて欲しいのだろうと気にしないことにする。


「……少し甘すぎじゃないですか? まあ、私には問題ないですけど」
 
 二枚目は、かなり甘かった。甘いのが苦手だと自負している祐一さんには辛いかもしれない。

「……」

 祐一さんは無言で、私を見つめている。早く次も食べろ、ということなのだろう。相変わらずにやけているのが少し気になる。

 
「……!?」
「どうだ? 栞」

 祐一さんのにやけ顔がいっそうニヤニヤしている。私の反応を見て楽しんでいるのは明らかだ。

 私が食べた三枚目は……辛かった。
 私は紅茶で流し込み、言った。

「どうしてクッキーが辛いんですか? 私が辛いの苦手なの知ってるはずですし、そもそも辛いクッキーなんて聞いたことが無いですよ」

 私は懸命に講義する。でも、祐一さんのニヤニヤは止まらない。むしろ私の反応を楽しんでいるようにさえ見える。

「そりゃ、辛くないと意味が無いからな」
「訳分かりませんよ」

 意味不明な祐一さんの言葉に、私は首をかしげた。そんな私を見ながら、祐一さんは私の手元にあった大きなバスケットを祐一さんの手が届く位置まで引き寄せた。

「さて、食べようか」
「……無視ですか?」

 その言葉さえも無視した祐一さんは、自分のティーカップに紅茶を注ぐ。
 ポットを傍らに置いてから、言った。
 

「そういえば、退院祝いにプレゼントがあるんだ」
「え……? 本当ですか?」

 話の唐突さに呆気にとられながらも答える。
 祐一さんは、ベッドの下に潜り込んでいた。そこにプレゼントがあるらしい。



 

「ほら、これだ」
 そう言って引っ張り出したのは、バスケットボールが二つほど入りそうな縦長の包み。
 一般にプレゼント用だと思われているような包装が施されている。

「なんか変な形ですね」
「そうか? 別に普通だと思うけどな」
「プレゼントって普通もっと平べったいじゃないですか」
「……イメージのしすぎじゃないか?」
「夢見る女の子はこだわりが多いんですよ」
「じゃあ、次やるときはそんな形にしてやるよ」
「はい。楽しみにしてます」





「ところで、さっきの話さっぱり分からなかったんですけど」
 私はプレゼントの出現によって脱線していた話を元に戻す。

「ああ、あれか」
 祐一さんは、どうやら意気消沈しているらしい。
 少し遊びすぎたかな、という気もしてくる。

「俺たちは今からこれ食べながらのんびりとする訳だが」
「はい」
「普通の物食べてもつまらないんじゃないか、と思ってな」

 祐一さんの言葉に、思考に、私は盛大なため息を付く。

「普通の何処がいけないんですか?」
「普通なんて言葉は相沢祐一の辞書には無いんだ」
「そーですか」

 もう言い争っても無駄と悟った私は適当に答えた。

「これなら何気なくクッキーをつまむ時にスリルがあるだろ?」
「私にばかりスリルがあるんじゃ不公平ですよー」
「だから甘いのを作ったんだよ。俺にもスリルがあるようにな」
「辛いのが大嫌いな私のほうがスリル大ですよ、きっと」
「でも、そんなに言うほど辛くも無いだろ?」
「ああ、そういわれてみれば……」

 確かに、辛いものをほとんど受け付けない私の舌でも食べられるほどの辛さだ。かといって辛すぎるわけでもなく、スリルを感じながら食べるには丁度いいかもしれない。

「お子様な舌が食べられるけど辛く感じる辛さを出すのは大変だったんだぞ? 学食のカレーを基準にしたからここ数週間ずっと昼食はカレーだったんだ」
「だからお子様な舌なんて言わないでくださいよ。それより本当にずっとカレーばかりだったんですか?」
「まあな」

 一生懸命になることが少し変な感じはするけれど、私は祐一さんの頑張りを素直に凄いと思った。
 少し、照れた。





「そろそろこれを渡そうか」

 ポンポンとプレゼントを叩きながら言う。
 その言葉に、私の耳はぴくっと反応する。
 祐一さんの狙いなのかどうなのか、ずっと祐一さんの傍らに置いたあったプレゼントのせいで、私は密かにお年玉を待ちわびる子供のような気持ちになっていたのだ。……恥ずかしいけど。
 ちょうど引き当てた爆弾クッキーに悶えながらも私の目はプレゼントに釘付けになる。

「退院おめでとう」
「ありがとうございますー」
 
 祐一さんの手から私へとプレゼントが渡る。持った瞬間に、私はあることに気付く。

「軽いですね、これ」
 思っていたより軽い。箱の大きさからそれなりの重量を覚悟していた私は、ちょっと拍子抜けした。
 一体何が入っているのだろう?

「開けてみてもいいですか?」
 私は祐一さんに尋ねた。祐一さんの目の前とはいえ、勝手に開けるのは憚られた。

「家に帰ってからにしてくれ」
「……駄目なんですか」
 意外にも断られた。目の前で空けられると恥ずかしい何かが入っているのかもしれない。
 プレゼントは家に帰ってからのお楽しみということにしよう。……少し残念。






「そろそろ帰りますね。もう夕方ですし」
 クッキーを摘みながら話し続けていると、窓から見える空が茜色に染まってきた。

「晩御飯食べていけよ、折角だし」
「いえ、今日はお家でもパーティーですから」
「そうか。残念だな」

 祐一さんは本当に残念そうだ。なんだか悪いな、という気もしてくる。

「また、いつか来てもいいですか?」

 私の言葉に、祐一さんはにっこりと笑った。

「ああ。その時は……」

「「晩御飯を一緒に」」









「ただいまー」
「お帰り、栞。もうちょっと早く帰って来られないの?」

 玄関のドアを開けると、お姉ちゃんが待っていた。その顔は、あまり笑っていない。

「まだ病み上がりなんだから。心配するでしょ?」
「ごめんなさい」

 お姉ちゃんは、ふっとため息をつく。表情が穏やかなものに変わる。

「ほら、早くプレゼント置いてきなさい。みんな待ってるから」
「うん!」








 家族のささやかなパーティーも終わり、私は部屋に戻る。いよいよ、プレゼントを開ける時が来たのだ。

「何が入ってるんだろう……」

 紐を解き、包装紙を広げる。ドキドキした気持ちを抑えきれずに、一気に箱を開ける。

「え……」

 私は絶句した。大きさの割に軽いプレゼント。その中身は――。



































「綿?」

 なぜか、箱の中一面に綿が入っていた。私は訳も分からず呆然とする。









「もしかしたら他にも何か入ってるかも」

 気を取り直した私は、箱の中の綿を外に出し始める。小さく千切ってある綿は、出しても出しても沸くように出てくる。
 このまま何も無かったら祐一さんにきっちり説明してもらおう。説明しだいでは凄いことに……。

「あれ? また?」

 箱の一番底から、また包装紙に包まれた箱が出てきた。手の平に乗るほどの、小さな箱。

「また綿だったりして」

 乾いた笑いを一人漏らしながら、箱を開ける。何が出てきても不思議じゃないと思いながら。
 






「これは……」

 私は絶句した。さっきとは別の意味で。思ってもみなかったという点では同じ。

「リングケース?……と手紙?」


 箱の中から出てきたのは、どう見ても指輪が入っているであろう箱と手紙。
 私は、とりあえず手紙の封を切る。ゆっくりと読み始める。

『栞へ

 どうだ? 俺のプレゼントは。驚いただろう?』

「そりゃあもう。何かと思いましたよー」
 私は手紙の中の祐一さんに文句を言う。返事代わりに、先を読む。

『どっちから開けたかは分からないけど、これから開けたのならリングケースを今開けてみてくれ。きっとびっくりするから』

 私は言われるがままにリングケースを開ける。
 

 そして、手紙の中の祐一さんが言った通りにびっくりした。

「ダイヤモンド!?」

 リングケースの中を見ると透明な、ブリリアンカットが施された宝石が輝いている。
 最もポピュラーで高価な宝石、ダイヤモンド以外の何物にも見えない。

『はは、驚いただろ? 俺からの気持ちだ。遠慮なく受け取ってくれ』

「遠慮なくなんて言われても、私……」

 私にこんな高価なものが受け取れるはずがない。気持ちだけで十分。明日返そう。

『そうそう、返そうなんて思うなよ? どうせ大したものじゃないんだし。なんたって……』

「なんたって……?」





『ガラスだからな』

「……は?」

『一万円もしない代物だ。ま、今の俺にはぴったりなんだけどな』

 私は苦笑しながら手紙を読み進める。

『このガラスは俺そのものだ。ダイヤみたいに強くも美しくもない。俺にぴったりだろ?』

「……そんなこと無いですよ。祐一さんは強い人です。美しい人です」
 
 私は手紙の中の祐一さんに向かって言葉を紡ぐ。祐一さんは私を無視して言葉を続ける。

『俺は、もっと自分を磨かなくちゃいけない。だから、俺は旅に出る。自分を磨く旅に。別に世界を放浪する訳じゃないけどな。道は俺の中にあるから。始まりは今の俺。ゴールはダイヤのように輝いている俺。どんな旅になるかは分からないけど、俺は絶対にゴールしてみせるから。もし栞がよければ、待っていて欲しい。栞が自慢できるようなダイヤになるその日を』




「……祐一さん」

 私は丁寧に手紙を封筒に入れた。
 そして、指輪をはめた。

 指輪は、鈍い光を放っていた。
 この指輪は自分自身だと、祐一さんは言った。そして、ダイヤモンドになってみせると、祐一さんは言った。
 この指輪なら私に似合っているけど。
 綺麗に輝くダイヤの指輪をはめても全く似合いはしないだろう。

「祐一さんがダイヤになったら、今の私じゃ全然釣り合わないな……」

 祐一さんだけが変わっても何の意味も無い。私も、私も変わらないと。 
 祐一さんが、選んだことを誇りに思えるような女に。ダイヤモンドが似合う、立派な女に。




「私も歩き出そう。祐一さんのためにも、私は変わらなくちゃいけないんだ」

 どんな旅になるか想像もつかない。辛いことばかりかもしれない。でも、私は歩き出さなければならない。私のために自分を磨いている祐一さんのために。

 私は窓を開けた。まだ少し寒さの残る夜空には、たくさんの星が輝いていた。
 私は、夜空を見上げながら言った。

「祐一さんだけ変わっても、意味無いじゃないですか。普通の女の子がダイヤを身につけたとしても、ダイヤが目立つばかりです。私も自分を磨きます。ダイヤが身につけて欲しくなるような、そんな女になります。でも、私は祐一さんがいてくれないと駄目なんです。自分を磨いているときでも、祐一さんと一緒にいたいんです。だから、だから……」




「私を、祐一さんの旅に連れて行ってくれますか?」


 ふと、夜空が煌いた。私の最後の言葉に重なるように、一筋の流れ星が夜空を駆け抜けた。
 そして――

『栞が一緒に行きたいって言うのなら、俺は別に構わないぞ』

 そんな声が、聞こえた気がした。







 人は幻聴だと笑うだろう。
 でも、私はその声に勇気を貰った。私は強くないけれど。祐一さんが一緒ならどんな辛い事だって頑張れる。どんな長い道も、どんな高い壁も、きっと越えていける。

「祐一さんと私が、ゴールできますように」

 私は、夜空の星に祈った。













 星が綺麗な夜空の下で、私は祐一さんと共にスタートラインに立った。
 先の見えない旅路への第一歩を踏み出すために。



 長い長い旅が、始まる。