コンコココンコンコンコココンコン
小気味良いリズムでドアがノックされる。あたしは、目を通していた参考書を閉じるとドアの前に立って――
「……こちら相沢祐一対策本部、最高司令官美坂香里。シークレットパスワードオールオーケー。ゲート、オープン」
三流のSFのような言葉と共にドアを開けた。そこには当然のように、いつもと同じ二つの顔が並んでいた。
こちら相沢祐一対策本部
「今日はどうしたの?」
「昨日ね、今度の週末にみんなでキャンプに行こうっていうことになったんだ」
あたしの言葉に、隊員その一であるあゆちゃんはゆっくりと話し始めた。
「秋子さんが運良く連休取れたから、たまには自然の中に身を置いてみようって」
「良い事じゃない。何か問題でも?」
問題が無ければここに来ることは無く、ここに来るということは問題の内容は決まりきっていて――
「うぐぅ……祐一君がひどいんだよ!」
あゆちゃんの想い人である相沢君に関することだったりする。
「祐一さん、また何か言ったんですか?」
隊員その二、栞はニコニコしながら先を促す。如何にも楽しんでます、というような顔は止めてほしい。
「そのキャンプ場に、お化けが出るって言うんだよっ!」
「……はい?」
思わず間抜けな声が口から漏れる。
「秋子さんも名雪さんもお化けなんて出ないって言うのに、祐一君だけ……!」
両手を振りながら力説するあゆちゃんを見ながら、何となく理解した。
要するに、あゆちゃんはお化けが苦手なのだ。それもどうしようも無いほどに。
「絶対祐一君がウソ言ってるって分かってるのに、何だかボク怖くなって、それで……!」
あゆちゃんの目にうっすらと涙が浮かぶ。いる筈も無いと分かっているお化けにこれだけ取り乱すあゆちゃんを見ていると――
「何となく、相沢君の気持ちが分かるわね」
「え……? 香里さん、何か言った?」
「何でもないわ」
何はともあれ頼られている以上、話を聞いて終わるわけにもいかないわけで。
「お姉ちゃん、どうするの?」
「さて、どうしようかしら」
栞の言葉に、あたしは腕を組む。お化けなどいないということは分かっているのだから、あたしが同じことを言っても効果は無いだろう。 そうなると、あたしに出来ることは――
「あゆちゃん――」
時は週末、場所はキャンプ場。星空の下、俺はあゆと二人でテントの外に出た。
名雪はとっくに夢の中。秋子さんは何も言わずにテントの中にいてくれた。
あゆは、やはりお化けが不安なのだろう。最近買ったのだという小さなペンダントをしきりに弄っている。
そんなあゆを横目に見ながら頭の中を整理して、俺は密かに気合を入れた。
「あゆ、そろそろお化けが来るぞー」
俺は、あゆにそう声をかけた。
作り話を、どれだけそれらしく語るか。作り話で、どれだけ騙し切れるか。
勝負の始まり。
「……お化け?」
一言だけ、あゆは答えた。俯いてしまったために表情は見えない。
「あそこの林の向こう側に墓地があるんだ。そこからお化けが抜け出してキャンプしに来るって評判のキャンプ場なんだぞ、ここは」
「お化けが……キャンプ?」
信じられない、とあゆは呟く。墓地のすぐ近くにキャンプ場など作る筈が無いと。
「もう何十年も昔だけど、ここで大きな事故があったって知ってるか?」
あゆはぶんぶん、と首を振って否定の意を示す。
「その事故の犠牲者達は、みんな向こうの墓地に埋葬されたんだ。犠牲者達がキャンプの続きを楽しめるように、なるべく近くに埋葬してやろうっていうことになってな」
俺はそこで一旦言葉を切る。続く展開を予想させ、出来る限り恐怖を煽るために。
「もう……分かるだろ? 目撃されるお化けは――」
「そのお墓に埋葬されたっていう、犠牲者の人?」
顔を上げて、俺の言葉を遮って。確認するように尋ねたあゆの目には、僅かに涙が浮かんでいた。
勝利を確信した俺は笑みを噛み殺しながら、ゆっくりと頷いた。
「……そっか」
再び俯いて、ポツリと言う。今一つ感情が窺えない、素っ気無い声で。
「……あゆ?」
てっきりうぐぅうぐぅ言いながら怯え出すとばかり思っていただけに、あゆの反応は意外だった。
嫌な予感が頭をよぎる。まさか、俺は――
「祐一君」
顔を上げたあゆは、何故か満面の笑みで。
「あの林の向こうは、崖だよ」
「………………は?」
俺の予測を、もう軽く何光年も超えたことを言った。
「それにね、このキャンプ場はまだ出来てから十年も経ってないんだって。秋子さんが言ってたから間違い無いよ」
ニッコリと笑ったまま、あゆは俺の心に強烈なボディーブローを食らわしていく。
「……マジ?」
「うん!」
迫真の演技が、ただの猿芝居へと変わっていく。あゆは全部知っていて、騙しきったのはあゆの方で。
俺は、ただの道化だった。
「……ふ、やるな」
動揺を消しきれず、僅かに冷や汗が背中を伝う。だが、しかし。
「でもさ」
この相沢祐一、手札が一枚きりの筈が無い。
「さっきのは確かに作り話だけど、こんなに人がいなかったらお化けくらい出そうだよな」
「……え?」
「今日は俺達四人以外に人はいないし、ここには明かりも無い。何があってもおかしくないだろ?」
あゆの笑顔が消える。瞬きすらせず、目に涙を溜めて。
「冗談、だよね?」
「いやいや、あゆの後ろに変なもやがあるし」
あゆは呆然とする。無理も無い、あゆは根本的にお化けが苦手なのだから。
俺は少し後悔した。芝居などせずにおけば、はじめからこう言っていれば、要らない敗北感を味わうことも無かったのに、と。
「……祐一君」
瞬きもせず、俺の方を見たまま名前を呼ぶ。怖くて振り返れないのだろう。当然だ。もしあゆの立場だったら、俺だって振り返ることなんてできっこない。
「……祐一君」
もう一度俺の名前を呼び、両手で涙を拭く。涙を拭き終わった手が顔から離れると、その下からは何故か満面の笑みが現れて――
「ウソつき」
「…………」
言葉が出なくなるほど予測を超えた言葉を、俺に向けて放っていた。
「これ、何だか分かる?」
そう言って、あゆは自分のペンダントを俺に見せた。
「……ペンダント」
買ったものではなく、おそらくは香里の。
「これね、香里さんが貸してくれたんだよ」
でも、分からない。これで、どうして――
「昔お化けに会ったときにね、これで追い払ったんだって!」
嬉しそうに言うあゆを見て、俺は愕然とした。
「香里、おまえは――」
俺と香里の決定的な差を、香里は利用したのだった。
普段から冗談を交えつつあゆをからかっている俺は、信頼されているもののあまり信用されていない。
そして、香里はというと――
「……参った。ごめんなあゆ、ウソばっかりついて」
「ううん、いいんだよ。ボクの方こそごめんね、下手な演技しちゃって」
あはは、と笑みがこぼれる。二人で笑いあって、そして、
「じゃあ、いつものあれいきます」
あゆは僅かに体を半身にして腕を組み、らしくないクールな視線を作って――
「相沢君、あんまりあゆちゃんをダシにして遊ばないこと」
その姿は、いつの間にか組織の長に就任していた美坂香里に酷似していて。
「まあ、あゆちゃんも楽しんでるみたいだし暇があったらまた叩きのめしてあげるわ」
そのセリフは、何故かノリノリな本部長からの挑発に他ならなくて。
「くそぉ、香里のヤツぅーーーーーーーーーー!!」
俺の絶叫は、通算六度目の負け犬の遠吠えに過ぎないのだった。
コンコココンコンコンコココンコン
「……思ったより早かったわね」
例の言葉と共に、あたしは扉を開ける。そこには、満面の笑みの隊員二号が立っていた。
「栞隊員、報告しなさい」
「いえっさー! 完全勝利、パー四つ。だそうです!」
あまり迫力の無い、どちらかというと可愛らしい敬礼と共に大声であゆちゃんからの電話を報告する。
「二十点満点、か。上出来ね」
大喜びのあゆちゃんと悔しがる相沢君の姿がありありと浮かんできて、あたしは少し頬を緩めた。
「それにしても、お姉ちゃん悪党」
「……何よいきなり」
部屋に入ってきた栞の第一声は、ちょっと聞き捨てならないものだった。
「適当なペンダント渡してウソ吹き込むなんて、悪党以外の何者でも――」
「勝てば官軍、って言う言葉知らないの? どんな策を使おうと、勝った者勝ちなのよ」
「でも、お姉ちゃんのこと信じてるあゆさんを平気で騙すなんて――」
「平気じゃないわよ。それにあれ以外に方法が無かったの、仕方無いでしょ?」
数日前のあゆちゃんとのやり取りを思い出す。
『あゆちゃん、家に帰ったら、キャンプ場の周辺と過去を徹底的に調べること。もちろん、相沢君に気付かれないようにね』
『どうして?』
『相沢君、きっとそれらしい作り話してくるから。話に信憑性を持たせるために、そのキャンプ場に関するありもしない何かを作ると思うの』
『……祐一君ならやりそうだね。分かった、調べておくよ。でも、ボク――』
『あゆちゃん、これ貸してあげる』
『何これ? ペンダント?』
『あたし達ね、昔お化けに会ったことがあるの。そうよね、栞?』
『え? あ、うん、会った会った。怖かったな』
『うぐぅ、ホントに!?』
『でもね、その時にこのペンダントをつけたお母さんが来たら、すぐにお化けが逃げて行ったの。このペンダントには、お化けを追い払う力があるのよ』
『うわあ、凄い! じゃあ、これがあったら――』
『お化けなんて絶対に出て来ないわ。相沢君が何を言っても、絶対にね』
いる筈の無いお化けを信じられるほど真っ直ぐなあゆちゃんは、あたしの作り話をすぐに信じてくれた。とても強く、お化けが怖くなくなるほどに。
「あたしより信用されていない相沢君が悪いのよ」
「お姉ちゃん……悪の親玉が板についてきてない?」
「あゆちゃんの話を聞いて面白がってるだけの栞に言われたくないわね」
「あゆさん使って祐一さんを苛めて楽しんでるお姉ちゃんには言われたくないな」
「……中々言うわね、栞」
まあ、実際その通りなので反論できない。あたしは、このよく分からない組織も、あゆちゃんの惚気話も、相沢君をへこますことも、全部楽しんでいる。そしてそれは栞も、あゆちゃんや相沢君も同じなわけで。
「結局、世の中平和ってことよ」
「……?」
首を傾げる栞を眺める。それだけで、今の自分がどれだけ平和の中にいて、どれだけ幸せに包まれているのかが、怖いほど実感できた。
「ねえ栞」
「んー?」
「いい加減、ドア開ける前のやりとり止めない?」
「ダメ」
当然のように拒否される。同じやりとりを繰り返す度に、了解した時の自分がどれだけ軽率で、どれだけ取り返しのつかないことをしたのかが、笑えるほど実感できた。
「ほら、そろそろ部屋に戻りなさい。もう遅いわよ」
時計を指差しながら言う。日付はもうとっくに変わっていた。
「あ、うん。それじゃおやすみ、お姉ちゃん」
「おやすみなさい、栞」
パタパタと部屋を出て行く栞を見送ってから、あたしは視線を外に投げた。
空には数え切れないほどの星。時折瞬く星達は、まるで生きているよう。
それらをボーッと眺めていると、不意に下らないことが頭を掠めた。
「ま、別に誰かが聞いてるってわけでもないし」
あたしは軽く襟元を正し、そこらに転がっていたシャーペンをマイク代わりにして。
たくさんの人々の住む世界に見立てた星空に向かって、静かに呼びかけた。
「こちら、相沢祐一対策本部。あたしより平和で幸せな人、いますか?」
しばらく待ってみても、耳に入るのは僅かな風の音だけ。返事など、当然ありはしない。
「ま、当然よね」
眠くなってきたので、するつもりだった勉強を中止して眠りにつく。
世界一の平和と幸せを、強く、強く噛み締めながら――