「第二回東方再萌トーナメント……か」
空に輝く月だけを観客に、私は一人バイオリンを弾いていた。
「……酷いな。今日はまた一段と」
あまりの音の酷さに私自身が耐えられず演奏を止める。
悩み事、考え事がある時に一人でバイオリンを弾くのは私の癖。解決に向かっていれば良い音が、向かっていなければ良くない音が私の感情を代弁してくれるから。
今日の演奏は、どうしようもないほど酷いものだった。初めてバイオリンに触れた時でももう少しマシな音を出しただろうと思えるほど。
悩みの種は突然贈られて来たとあるイベントの参加要請。幻想郷中を巻き込む大イベントであるそれは、前回の数倍の規模になると予想されているらしい。
「全く……。前回だって人が多すぎでクラクラしたって言うのに」
前回のことを思い出す。私は基本的に大勢の人前に立つのは苦手。演奏しろというのならいくらでもやるが、喋るなんて出来ない、明るく振舞うなんて論外。
大勢の人が私を応援してくれたのは本当に嬉しかったが、だからといって私の苦手意識そのものは消えてはくれず。「良い試合」一戦で表舞台から降りられたことを嬉しく思ったものだった。
「気が乗らないな……」
私の今の気持ちは、つまりはそういうこと。
逃げられないことは分かっている。これだけ大きなイベントだ、私一人が我侭を言うわけにはいかない。
やるべきことも分かっている。私は大勢の人の前で自分をアピールして、応援してくれる人の声に応えればいい。
ただ、どうしても気持ちが付いてきてくれない。やるべきことは、最も苦手で最もやりたくないことだから。
「はぁ……」
ため息、一つ。私のモヤモヤも一緒に出て行ってくれればいいけれど、そんな都合のいい事があるはずも無い。
「――あなたの得意楽器はため息だったかしら?」
「…………!」
真後ろから声。突然の声に驚いて、無様な姿を見られたことが恥ずかしくて、私は反射的に振り返る。
「あなたは、確か――」
「こんばんは。月が綺麗な夜ね」
宴会に呼ばれた時に何度か見たことがある。素敵な挨拶をよこしてくれた金髪の彼女は、名をアリス・マーガトロイドといった。
「ところで、今夜はどうしたの? あれなら私の人形たちに演奏させた方がマシよ」
「…………」
彼女の人形たちが素敵な演奏をする、ということではないだろう。それほどにまでに私の演奏が酷かったということ。
「宴会の時はあんなに澄んだ音を出しているのに。そんな演奏じゃ騒霊の名が泣くわよ?」
「騒霊の名が泣く、か。確かにその通りだ。私は騒霊失格だよ」
自嘲気味にこぼす。大勢の人前で騒ぐことが苦手な騒霊なんて、騒霊失格に違いない。
他人に愚痴を言うことなんて滅多に無いのだけれど。誰かにぶちまけてしまわなければ耐えられないほど、私は悩んでいたのかもしれない。
「……どうしたの? 私で良ければ話くらいは聞いてあげるけど?」
心配そうな顔をして、疑問形の言葉とは裏腹に彼女は私の横に座ってくれる。
「実は――」
好奇心を感じさせない彼女に好感を持った私は、洗いざらい打ち明けてみることにした。何も解決しなくても多少はすっきりするだろうし、もしかしたら何か助言をくれるかもしれない。
そういえば初めてじゃないだろうか。妹たちの世話でいっぱいいっぱいだった私が誰かに悩みを打ち明けるのは――。
「なるほど。生真面目なあなたが悩みそうなことね」
彼女の感想は実にあっさりしたものだった。
「あなたは頭がいいのね。だからやらなければならないことも、自分のこともよく分かってる。でもね、あなたは一つだけ勘違いしてる。頑張り屋のあなたは、一番大切なことに気が付いていない」
話が遠回りしている気がする。ヒントはやるから自分で解決しろと、そう言っている気がする。
「バイオリン、貸してくれないかしら?」
「……?」
「楽器は奏者の心境を物語る。私の感情、聞いてみない?」
私は無言でバイオリンを差し出す。そう、私は彼女の心の中にとても興味があった。おそらく私と同じようにトーナメント参加に気乗りでない彼女が、どんな気持ちで一回戦を戦ってきたのか。私と似た所のある彼女の演奏を聞けば、私がしている「勘違い」が見えてくるかもしれない。
「技術じゃあなたに遠く及ばないけれど。今のあなたよりは百倍うまく弾けるわ」
そう前置きして、彼女は演奏を始めた。
「――こんな所ね。どうだったかしら、私の演奏は」
「素晴らしかったよ。そうとしか言えない」
彼女の演奏は本当に素晴らしいものだった。技術は確かに大したことが無いけれど、バイオリンが奏でた音色は心から楽しそうで。私の演奏とは雲泥の差だった。
「私はそれなりに弾いてみただけ。無理をしてないから楽しかったし、頑張りすぎてないからストレスを感じることも無い」
「――――!」
「馬鹿騒ぎは私も好きじゃないけど、だからといってトーナメントはストレスにはならないわ。出来ないことはやらない、したくないことは無理してしないんだから」
「でも、それじゃ――」
私を応援してくれる人に申し訳無い。応援してくれる人がいる以上、私は無理してでも明るく振舞って見せないと――
「あなたは有名人なのよ、ルナサ・プリズムリバー」
私の言葉を遮るように、彼女は言葉を紡ぐ。
「幻想郷で最も有名な三十八人の一人なのよ、あなたは」
「……?」
トーナメントにエントリーされるくらいだから、確かにそうなのかもしれない。でも、それは今話題に上るべきことじゃないはずだ。
「分かってないわね。あなたは有名なの。あなたが苦手なことくらい、応援してくれる人はちゃんと分かってるわ」
「…………」
「応援してくれる人はありのままのあなたを見に来てるの。饒舌に喋って欲しいなんて思ってないし、無理して欲しいなんて思うわけ無いでしょう?」
「そんな、ものかな」
彼女の言葉を一つ一つ記憶に刻み込みながら、確認するように問いかける。
「私が言えるのはこれだけよ。どうしても納得できないなら今すぐ辞退を申告しに行きなさい。出場したい人はいくらでもいるの、観客を沈ませるような人に出る資格なんて無いわ」
パンパン、と埃をはたきながら彼女は立ち上がる。彼女のことだ、本当に帰るつもりなのだろう。
「せっかくの月の夜。素敵なバイオリンはいかが?」
「……へぇ」
私の言葉に、動きかけた足がピタリと止まる。このまますんなりと帰すわけには行かない。私にも騒霊としてのプライドってものがあるから、最悪な演奏だけを聞いて帰ってもらうわけにはいかないのだ。
「帰りたかったらいつ帰ってもいいけど。多分今夜は眠れなくなるよ」
珍しく大口を叩く。それに対し、彼女はニヤリ、と口元を歪めて応えてくれた。
「騒霊の腕前拝見といこうかしら。ちょっとでも無様な音出してみなさい、何も言わずに帰ってあげるわ」
望む所。一晩中付き合ってもらおうか――!
朝陽が遠くの山から顔を出す。休憩も何も無く、私は一晩中弾き続けていたらしい。
いつに無く思い切った演奏が出来たと思う。高揚した気分を旋律に乗せたソロ。いつものアンサンブルとは違った楽しさがあって、つい夢中になってしまったのだが――
パチパチパチパチ。
「ああ、やっぱりあなたは最高よ。あなたみたいな演奏者の前で弾いたのが恥ずかしくなってくるわ」
ただ一人の観客は、楽しそうな表情でそこにいた。
「ありがとう、アリス。あなたのおかげで吹っ切れたよ。私は私らしく、やれることをやってくる」
「お役に立てたようで何よりよ。それじゃ、ほどほどに頑張ってね」
「待った、一つだけ聞いておきたいことがある」
帰っていこうとする彼女を呼び止める。
「その……どうして私に助言を?」
宴会でちょくちょく顔を合わせることはあるものの、それほど親しい仲というわけでもない。どうしてあんな真夜中に真剣に話を聞いてくれたのだろう?
「そうね……。次の試合まで間があって暇だったのもあるし、何より――」
彼女は、当然と言わんばかりに自信たっぷりに。
「これでも都会派を自称してるんだから。最高の奏者が最低の演奏をしているのを聞いて見過ごすわけにはいかないわよ」
何とも都会派な台詞を残して、朝陽の中に融けていった。
「あーっ! 姉さん、今までどこ行ってたの!? もうすぐ試合始まっちゃうよ、ほらこれに着替えて!」
住み慣れた我が家に戻ってみると、案の定妹たちがはしゃいでいた。お祭り好きな性格が羨ましい、だけど私は私。無理して祭りに合わせる必要はない。
「何よこのフリルだらけの服は。お断りよ、私はこの服で行く」
押し付けられた服を放り投げ、ギャーギャー騒ぎながら付いてくる妹たちを引き連れて私は会場に赴く。
大勢の人の前に立つのは苦手だけど、心は軽い。やりたくないアピールはしなくていい。無理して明るく振舞う必要もない。それなら、いつもと何も変わらないじゃないか。
「私はルナサ・プリズムリバー。私は私らしく、精一杯頑張ってみようか」
ルナ姉をちょっと曲解してる気がします。まあ色々と資料無かったし勘弁。
それにしてもアリスってば完璧超人ね!