私は酒に強い。
未だ二十を数えぬ身ではあるが、経験も耐性もそこらの大人より勝ると自負している。私がこんなになった原因の、私の意志を無視して浴びせるように呑ませた神様二人は正に神がかっている。胃が異次元に繋がっているのではないかと勘繰りたくなるほどに強い。
そんな私と神様達は紆余曲折を経て幻想の郷へと居を移し、人間も妖怪も関係なく宴会が催されていることを知る。信じられないほどの力を持った巫女に倒されることで結果的に幻想郷に受け入れられた私達は、制止の言葉も包囲網をも無視して神社を訪れる黒い魔法使いに誘われてはその宴会へと足を運ぶようになった。
私は酒に強い。
瓶ビールの十本くらいはウォーミングアップに過ぎない。人間とは根本的に違う妖怪はともかく、同年代の少女に後れを取るはずがない。
「うぐぅ……」
頭が重い。内側から締め付けられるような痛みは何度寝返りを打っても晴れることはなく、力の入らない四肢はどこか他人の物のよう。完膚なきまでに二日酔いである。経験から言って全快は昼過ぎだ。
昨夜も博麗神社へと赴いた私は、気が付いたら自室の布団にくるまっていた。覚えているのは、高い夜空にたくさんの星が綺麗だったことくらい。
「少しは良くなったかしら」
すす、と襖を開いて八坂様が姿を見せる。後ろ手に襖を閉めつつ、もう片方の手には湯気の上がる土鍋を乗せたお盆。厄介なくらいに勝気なのが八坂様であるが、私が弱っている時だけは慈愛の表情を覗かせる。普段は私のために料理なんて絶対にしてくれない。
「お粥作ってきたんだけど、食べれそう?」
顔から数十センチのところで蓋が開く。湧き上がる湯気と共に、独特のねっとりした臭いが鼻から飛び込んできた。
「……すみません。まだ無理です」
頭の重さが一段と増した気がする。半ば反射で寝返りを打ち、鍋に背を向けた。
ひりつくほどに乾いた喉は乾燥した物を受け付けない。その点から言えばお粥はこれ以上無い選択ではあるのだが、あの臭いは今の私にはきつすぎる。八坂様謹製、ふわふわ卵と梅干のお粥はそれはもう美味しいのだけれど、それも時と場合。
「そう、ならもう少し寝てなさい。これは私が片しておくから」
お盆が持ち上げられる気配。襖へと伸びる足音が続き、再び静かに閉められて小さな部屋はまた私一人。
冬に差し掛かった部屋は寒い。けれど異常な重さと熱を持つ頭を抱えた私にはこれくらいでちょうど良い。ついでに枕をひっくり返せば、私の体温に触れていないひんやりした布地がそこにある。濡れタオルでは冷たすぎるから、これが実に重宝するのだ。
「お心遣いありがとうございます。もう少しだけ眠らせてください」
残念な顔をしながら手製のお粥を突付いているであろう八坂様に詫びて感謝し、だるさとも眠気とも取れそうなもやに任せて目を閉じた。
少しも動いていないのに頭がぐるぐると回る感覚は鬱陶しいが、無視を決め込めばそのうち遠く消えていく。元々希薄だった手足の感覚も段々無くなっていき、自分が溶けるような感覚に少しだけ不安を覚えたところで意識が落ちた。
『従者は主人を映す鏡。私が無様な姿を見せるわけにはいかないでしょう』
若干年上であろう彼女に己の在り方を諭された。
『とにかくいっぱい呑めばいいんだ。そのうち体が覚える』
明らかに年下な彼女に経験の差を突きつけられた。
『よく分からないけど……巫女が弱いんじゃ話にならないわよ』
同業と言って差し支えない彼女に格の違いを見せ付けられた。
同じ人間である彼女達は、涼しい顔をして私の遥か上をいっていた。実感するまで気付かなかったが、外の世界の基準を基準にすること自体が間違っていたのだ。世界が変われば基準も変わる。
それでも、公言するつもりもないが、私とてプライドがある。外の世界の人間は情けない、そう言われたままで終わるわけにはいかない。
「どうやったら酒に強くなるか……ですか」
寒空の下、薄着と言って差し支えないような軽装で職務に当たっていた彼女の目が丸くなった。
「美鈴さんなら何か知ってるんじゃないかと思いまして」
「そう言われてもねー」
両手を腰に当て、彼女はうぅんと小さく唸った。白い肌に赤い髪がよく映える、びっくりするほどの美人さんである。
得体の知れない闇のような雰囲気を持つ妖怪ばかりの中で、人間よりも丸い雰囲気を帯びた美鈴さんには色々とお世話になっている。八坂様は宴会となると私のことなどほったらかしだ。
「どんなにたくさん呑んだところで、呑める絶対量が二倍も三倍も増えることはありません。人間だけじゃなく、妖怪もそれ以外も同じです」
「やはりそうですか……」
「そうです。特に人間は無茶すると体に毒ですから、妖怪と同じペースで呑んじゃいけませんよ」
人差し指を立てたポーズは、小さい子供を諭す保母さんのよう。美鈴さんからすれば私などその程度なのだろうが、あまり気分の良いものではない。
「……分かりました。気をつけます」
分かったのは、私がどんなに手を尽くしても彼女達には追いつけないということ。生まれ持った才能が全てを決めてしまうのでは対処のしようが無い。
幻想郷に伝わる酒に強くなる秘伝なんてものがあってくれれば良かったのに。私には教えられない、或いは会得出来ないとしても、それを彼女らに劣る理由にすることが出来るから。結果は何も変わらない。何の価値も無い自尊心が保たれるような気がするだけだ。
「あらら、えらく落ち込んじゃいましたね。そんなにお酒が好きなんですか」
「そういう訳じゃないです」
害悪でしかない、過剰なプライドがどうしても抜けてくれない。外にいた時はまだ実を伴っていただけマシだったが、一般人にカテゴライズされるここではただのピエロだ。勘の良い者はそろそろ気付いているだろう。
「量を呑むだけがお酒の楽しみ方じゃないですよ。良いお酒を良い気分で呑むのも同じくらい良いものです」
「……はい」
例えば、頓珍漢なことを言って気付いてない振りをしてくれている目の前の彼女であるとか。
「力になれなくてごめんなさいね」
「……いえ」
別れの挨拶に続く道まで準備してくれて。本当、私っていうやつは。
「急に押しかけてつまらないこと言って申し訳ありません。それじゃ、私は」
俯いて、右足を一歩引く。
このまま後ろを向いて、逃げるように帰ればくだらない人間の出来上がりだ。
「ちょっと待った。折角だからもう少し付き合って」
回そうとした左肩が、美鈴さんの手に引っかかって止まる。何事かと顔を上げれば、そこにあったのは可愛らしくウインクした美鈴さんの顔。
「お詫びと言っては何だけど、一つ良いことを教えてあげる」
「え?」
「早苗ちゃんの強さは相当なものよ。人間の中じゃ飛び抜けたウワバミ」
「…………は?」
「底が全然見えない紅白巫女といい私達と同じペースで呑む早苗ちゃんといい、神職に就く人間は凄いのね」
「え、え? え?」
嘘を吐いているように見えない美鈴さんの表情と、嘘にしか聞こえない言葉が私の中でぶつかり合っている。大量の火花で真っ白になった頭はちっとも働かず、戸惑いに押し出されるように意味の無い音だけが漏れていく。
「早苗ちゃん、注がれたら注がれただけ呑むでしょう」
「だ、だって、注がれたら呑むのが礼儀じゃないですか」
「そんなことだから潰されちゃうのよ。早苗ちゃんみたいな良い子はあそこの連中にとっちゃ良いオモチャなんだから気をつけないとね。上手いあしらい方を覚えなきゃどれだけ強くても同じこと」
「っ……美鈴さん――」
「無茶なペースで呑まれると見てるこっちがはらはらするの。人間は無理が出来るほど丈夫じゃない」
オモチャ呼ばわりに対しての反論は、心配そうな声に上書きされて消されてしまった。出来るだけ明るく努めようとしたのだろうか、浮かべる表情は苦笑の色が強い。
「魔理沙も咲夜さんも、早苗ちゃんの半分も飲んでないって気付いてた? 自分の限界を知ってるし、宴会の楽しみ方と盛り上げ方も知ってるから無理して呑む必要が無いの」
「楽しみ方と、盛り上げ方」
「そ。自分が呑むだけなら晩酌で十分でしょう。宴会っていうのはみんなで楽しむ場所で、全く呑めない人だって歓迎される所よ」
思えば私の酒は、八坂様と偶に加わる洩矢様とのものがほとんどだ。大声をあげ騒ぐこともままあったが、自宅で身内と行うそれは宴会というよりは騒がしい晩酌だったのだろう。そのままを規模も勝手も違う宴会に持っていけば、途中で潰れるのも当然である。
「ひたすらに呑むだけでなく、それ以外での楽しみ方の模索を。私めと貴女の楽しい宴会のために、どうかご一考くださいませ」
無意味に慇懃な言葉。芝居がかった、スカートの端を摘んだ丁寧な一礼。服装と礼の様式がずれすぎていてどこか間抜けで、失礼だけどとても彼女らしい。
「はい。頑張ってみます」
ここでも特別扱いされるほど強いという事実は、だからこそ自制しなければならないという教訓として私の中に刻み込まれた。ただ事実を伝えられたなら、それは私を増長させる要因にしかならなかったに違いない。
心情を察し、言葉を選び、時にはおどけて諫めて諭す。本来の、本物の道化師になれる彼女だからこそ、私の中の身勝手なフィルタを素通りして伝えたいことを伝えられるのだろう。醜態を晒して笑い者になるピエロでしかない私とは大違いだ。
「今日は本当にありがとうございました。またお世話になるかもしれませんが、その時はよろしくお願いします」
「こんな私で良ければ喜んで。時間を選んでくれればお茶の一つも出しましょう」
美鈴さんに子供扱いされるのは、もう気にならなくなっていた。
「――ということがあったのですよ」
その日の夜。隠す気も無かった上機嫌は早々に八坂様の目に留まり、私は昼間のことを話すことになった。自分でもびっくりするくらい饒舌に、一挙手一投足まで細かく細かく。
「美鈴さんって本当に優しくて綺麗で。私もあんな風になれたらいいな、って――」
「ふぅん」
気付く。いつの間にか八坂様の顔から表情という表情が消え失せていることに。プラス方向に振り切れている私との帳尻を合わせるかのように、八坂様の機嫌が急速にマイナスに傾いている。
「良かったじゃないの」
「や、八坂様?」
「頼んでもないのにペラペラペラペラと。風祝の早苗はいつから漫談家に転向したのかしら」
行儀悪くちゃぶ台に頬杖をつき、明後日の方向を向く八坂様。その様子を一言で表すなら。
「あの、もしかして」
「何よ」
「私が美鈴さんのことを持ち上げるのが気に入らないのですか?」
ぴくん、と痙攣を起こして八坂様が固まった。同時に私も。
極端な感情の昂りは正常な思考を奪ってしまう。それは分かるが、いくらなんでも酷すぎるんじゃないか私。
自爆スイッチを押して何が楽しいのさ。冷静を保っていた僅かな思考回路が、そんなことを言い残して消えていった。
「面白いこと言ってくれるじゃない」
残ったのは顔を思い切り引き攣らせた八坂様とおののいて後ずさる私、そして突然現れた酒の山。たった一人のお客様、こっそり堂々と舞台に酒を持ち込むのは止めていただきたい。
「たかが妖怪風情にこの私が嫉妬してるってぇ?」
「い、いえ、そのようなことは決して――」
「あんたは神の子よ早苗。呑めば呑むほど強くなる、百倍でも千倍でもね」
いくらなんでも無茶苦茶すぎる。強い弱い以前に、そんな量を許容出来るはずが無い。私は人間だ。
「何よその顔。私の言うことが信じられないってーの?」
可愛い蛙のラベルの酒瓶を握り締め、にじり寄ってくる八坂様が怖い。完全に据わった目にはいつもの威厳は無く、道理も言葉すらも通じない酔っ払いのそれのよう。
「宴会は威信をかけた戦争よ。日和った妖怪に惑わされるような腑抜けた根性じゃあとても勝ち抜けないわ」
背中に壁の感触。逃げ場はもう無い。助けを乞うべき神は相手であり観客。救いの道はどこにもない。
拝啓、素敵な道化師様。愚かなピエロは今日も死ぬほど呑んでいます。
タイトルは「Not Equal」と「Not 胃 Call」。
私の胃は水でも多分二リットルが限度です。何年か前はもう少し多く食べれた気がするんですけど。
神奈子と諏訪子は当然ですが、(大)瓶ビール十本、つまり六リットル強が余裕で収まってしまう早苗も普通の人間の領域にはいないですよね。