鮮やかな紅葉も散り始め、いよいよ秋も終わりという季節。
魔理沙は、強奪した本を返却するため――ではなく、実験の計画を練る段階で必要になった本を探すため、図書館を目指して風を切っていた。
「……うぅ、寒いぜ。そろそろ冬服にしなきゃダメか」
散歩する分には幾分余裕のある気温ではあるが、高速で飛行するとなると話は別である。
僅かばかりの暖かさを持っているはずの空気は途端に牙を曝け出し、厚いとは言えない衣服を貫通して白い肌に喰らいついていた。
「今日も持って帰ることになりそうだな……。ったく、どうにかならないもんかね」
速度を維持しながら、器用にバランスをとりつつ自らの体を抱きしめるように両腕を体に巻きつける。気分的には多少楽になるものの、所詮は姑息な手に過ぎない。
「さっさと行って茶を出してもらった方がマシか。――気合を入れろよ霧雨魔理沙、この程度でへこたれてちゃ魔砲使いの名が泣くぜ!」
帽子を目深に被りなおし、魔理沙は更にスピードを上げた。震える体を抑えつけ、萎えようとする心を叱り飛ばす。
黒い風が駆ける。魔女が鎮座する大図書館へと、これ以上無くまっすぐに。
「前から思ってたんだが、ここってちょっと寒くないか?」
図書館の埃っぽい空気が、声によって震えている。
「さあ? 私は人間みたいに暑さ寒さに敏感じゃないから」
話し声は二つ。すなわち、
「鈍感ってことか?」
種族人間の霧雨魔理沙と、
「気温の変化を苦にしないってことよ」
種族魔女のパチュリー・ノーレッジである。
図書館の温度は一年を通して低い。
窓が存在していない上に壁もかなり厚く、太陽がどれだけ活発に活動していようとどこ吹く風。
基本的に人が訪れる空間ではないので人の熱には期待できないし、一人二人が訪れたところで高が知れている。
火を焚くと空気の悪化および本の劣化を招いてしまうので、パチュリーはおろか小悪魔さえもそれを許さない。
膨大な魔力を持つパチュリーでさえ、広すぎる図書館の熱源になるには不十分である。また、下手に魔力を浸透させてしまうとそれに魔道書が反応して厄介なことになることも十分に考えられる。
「何にしろ、このままでいいの。温度を上げるつもりは無いし、上げることを許すつもりも無いわ」
「取り付く島も無いな」
軽い調子で返した魔理沙であったが、内心は割と深刻である。何しろ、本当に寒い。夏の間は涼しいで済む温度でしかないが、冬は本を読むどころではないほどに寒い。
本を強引に家に持ち帰る理由の三割ほどは寒さなのだ。その辺りを、人間ではないパチュリーはよく分かっていないのだった。
「分かったらその案は諦めることね。あとさっさと本を返しなさい」
しっかりした口調で話しながらも、パチュリーの視線は本の方へと動き始めている。段々と魔理沙との会話に興味を無くしてきているのだろう。
「だから、死んだ後で好きに回収していいって言ってるだろ? せっかちなヤツだな」
もう何度となく繰り返した言葉を再び紡ぎながら、魔理沙はどうしたものかと頭を捻っていた。
パチュリーが無関心なのは知っている。自分が動くのを禁ずる理由も分かる。
だからといってはいそうですかと引き下がれるような些細なことではなく、それ以上に我を通せないのは非常に面白くない。
「ローコストで効果が高くて、尚且つ周囲に魔力が漏れない結界を持った暖房器具、か。どうしたもんかねぇ」
本格的に本を読み始めたパチュリーを背中に見ながら、魔理沙は本棚の間をふらつき始めた。
言うまでもなく、そんな都合のいい暖房器具が載った本が無いか探しているのである。見つかるとは思っていないが。
魔理沙が歩く度に、冷たい空気が肌を撫でる。その切れ味はまだまだ鈍い。
とはいえ、既に『切れ味』という言葉を持ち出すような寒さ。本格的な冬が訪れれば来るだけでも億劫になってしまうのは想像に難くない。
「帰りに霊夢のところに寄って行くか……。炬燵出したって言ってたし」
炬燵に潜り込んで啜る茶は格別である。全身を突っ込んでまどろむ快感は何にも代え難い。
冬の間だけ登場する、どんな魔法にも勝る魅力を持つ桃源郷。それが炬燵である。
あの気持ち良さが分からないなんて人間以外って不便だよなーと思う魔理沙の脳裏を、同じ職業で違う種族の彼女がかすめた。
「そういや、アリスは確か――」
魔理沙同様、アリスもちょくちょく博麗神社を訪れる。それは冬に顕著だ。
不思議に思った魔理沙が理由を尋ねたところ、アリスは何でもないことのようにこう言ったのだ。
『寒く感じないからといって暖さが恋しくないわけではないの。人間だけが炬燵に楽園を見るわけじゃないのよ』
その後炬燵を巡って弾幕ごっこになった辺りまでを丁寧に思い出した後で、魔理沙は自分がするべきことを悟った。
「おい、パチュリー!」
「何よ、五月蝿いわね。本なら貸さないわよ――って、どうしたの?」
面倒そうに顔を上げたパチュリーは、喜色満面の魔理沙に驚き僅かに身を引いた。
そんなささやかな反応とは対照的な心境を示すように、椅子がガタンと少しばかり大きな音を立てた。
「今日は帰るぜ。また近いうちに来る。アリスと一緒にな」
「はあ?」
「ここを楽園に変えてやるぜ!」
怪訝そうな顔をしたパチュリーの言葉も待たず、魔理沙は図書館を飛び出した。
目指す先は博麗神社、ではなく――
「ふうん。また妙なことを考え付くのね」
「実に妙案だろう? それはともかく、協力してくれるよな?」
魔理沙と同じく図書館を利用する者であり、魔理沙と同じく炬燵の素晴らしさをよく知る者であり、魔理沙と同じく魔法のを扱う者が住む森の一軒家。
すなわちマーガトロイド亭である。
「パチュリーの許可は?」
「あると思うか?」
「全然」
悪びれない魔理沙の態度に、アリスは溜息を返すしかない。
魔理沙が予め了承を取って動くことなど、夏に雪が降るくらい珍しいことである。つまり無い。
「ま、何かあったら魔理沙のせいにするとして」
両手を腰に当て、楽しそうにウインク一つ。
「魅力的な提案だし、手伝ってあげるわ。神社と違って土産を持って行く必要も無さそうだし」
「何だ、わざわざそんなことしてたのか?」
「礼儀よ礼儀。無礼を形にしたような魔理沙には分からないでしょうけどね」
文句を並べてくる魔理沙を適当にかわしながら、アリスは必要になりそうな本を人形たちに取り出させる。瞬く間に数冊の本がテーブルの上に積み上がった。
「さて、始めましょうか。さっさと作ってパチュリーを驚かせてあげましょう」
アリスは傍らの本を開き、熱心に読み始めた。魔理沙もそれに倣い、適当に本を取って読み始める。
実は、魔理沙とアリスが共同作業をすることはほとんど無い。互いの魔法を学びたい、盗みたいとは思っているものの、それ以上に自分の魔法を盗まれたくないのだ。
雑談に花を咲かせることはあるが、魔術に関する情報を交換することは本当に稀である。
そんな間柄であるはずのアリスは自らの魔道書を惜しげもなく魔理沙に晒し、さらに魔理沙が物珍しそうな目を向けていることに気付きもしないほどに本に没頭していた。
それは、アリスにとって「図書館に炬燵を置く」ということが魔法の秘匿よりも重要だという何よりの現れである。
パチュリーを驚かせる――そうアリスは言ったが、それは建前に過ぎない。
結局は、アリスもまた炬燵の魅力に取り付かれた生き物であるということ。ただそれだけなのだ。
「……………………」
魔理沙がパチュリーを最後に訪れてから四日。
宣言通りアリスと一緒にやってきた魔理沙が持ってきた土産を見て、パチュリーはぽかんと口を開けて絶句した。
「おー、期待以上の反応だな」
「まぁ驚くわよね普通は」
言うまでも無く炬燵である。炬燵であるのだが――
「よく作ったわねそんな物」
目の前のそれは、パチュリーの知識内の炬燵とは一線を画すとんでもないものだったのである。
「ふふん、私にかかればこの程度なら朝飯前だぜ」
「何言ってるのよ、ほとんどは私が作ったんじゃない」
「熱源あっての炬燵だぜ。それ以外なんて功績に入らない」
ギャーギャーと言い争いを始める二人を完全にシャットアウトして、パチュリーはその炬燵に見入っていた。
周囲を覆う布団には熱だけを完全に閉じ込める結界魔法がかけられており、しかも効果が半永久的に切れないように特殊な呪法が用いられている。
熱源はミニ八卦炉の仕組みを応用した魔理沙渾身の一作で、微量の魔力を通すだけで丁度いい程度の熱を発生させる優れ物。発生させる熱量は自在に調節することができ、炬燵内の温度をかなり細かく調整することも可能。
図書館の床に直接座るわけにも行かないので特製のマットが付随されている。もちろん、これも普通の代物ではない。座っても寝転んでも絶妙な硬度を保ち、果てしない心地よさを使用者に提供するアリス苦心の一品である。
魔法使い二人の共同作業は、そんじょそこらの炬燵とは次元の違うバケモノを生み出すことに成功していた。
古今東西の魔術の粋を集めたといっても過言ではないそれは、マジックアイテムとしても十分な価値を持っている。
「もうちょっとマシなことに労力を割けば良いのに」
が、パチュリーの反応は冷ややかであった。
目の前の物がどれだけの苦労の果てに作成されたものかは、やはり魔法を扱う身であるパチュリーにもよく分かる。
しかし、その苦労をたかが暖房器具のために使おうという気持ちがさっぱり理解できなかったのだ。
「とにかく、これは置いて行くぜ」
「邪魔よ。さっさと持って帰りなさい」
パチュリーは冷たく言い放つが、二人に動揺は無い。パチュリーの言動はとうに予測済みである。
「お断りよ。これは私たちからあなたへのプレゼントなんだから。炬燵を愛する者として、あなたにも炬燵の良さを分かってもらいたいの」
「……」
自分たちが図書館で炬燵に入りたいという目論見は横において、プレゼントという言葉をひたすら強調する。
持って帰らなければならないという事態さえ回避できればいいと思っていた。それさえクリアできれば自分たちの勝ちだという確信を持っていたから。
「とにかく、私たちは帰るぜ。炬燵はパチュリーにやったんだから、使うなり廃棄するなり好きにすればいい」
そう言うと、魔理沙はあっさりと出て行ってしまった。
それに続くアリスは、ドアの前で立ち止まり。
「魔理沙だけじゃなく私も炬燵が大好きだってこと、覚えておいて損は無いと思うわよ」
背中を向けたまま軽く手を上げ、アリスも同じように図書館を後にした。
二人が去った後。図書館に残っているのはパチュリーと、
「炬燵、か……」
二人が勝手に持って来て強引に置いて行った炬燵のみである。
「どうしようかしら、これ」
一見迷っているように見えるが、パチュリーの心はすでに決まっていた。
『魔理沙だけじゃなく私も炬燵が大好きだってこと、覚えておいて損は無いと思うわよ』
アリスの言葉が、パチュリーの脳内を暴れまわっていた。
魔理沙だけではなくアリスも。それは、言い換えれば人間だけでなく寒さを感じない自分たちも、ということである。
目の前の炬燵は是非とも使ってみたい。二人の魔法使いの粋を集めた至高の一品である上に、炬燵そのものもアリスのお墨付き。パチュリーの好奇心はこれ以上無いほどに刺激されていた。
「せっかく作ってもらったんだから、一度くらいは入ってあげないと可哀想よね」
だが魔理沙の提案をぴしゃりと断っていた手前、ホイホイと使うのはどうにも気が引ける。それを正当化するための、ほとんど無意識の言葉であった。
常に我が道を行く普段のパチュリーからすれば一笑に付すような言葉であるのだが、そんなことにも全く気付いていない。
「――気持ちいい」
ぽふ、とマットに座る。その感触は、想像していた以上に気持ちの良いものであった。
感動に浸ること数秒、パチュリーはいそいそと足を炬燵の中に入れる。
そして、使命を果たさんと待機している小型炉に魔力を走らせた。
「おお、こりゃまた」
「予想以上ね」
数日後。
様子を見に来た魔理沙とアリスは、ちょっぴり予想を超えた光景に顔をニヤつかせた。
パチュリーはすっぽりと炬燵に収まっていた。顔と手だけを外に出し、残りは全部炬燵の中。
他に利用する者がいないことをいいことに、パチュリーはすっかり殻を纏った新生物へと姿を変えていた。
「……何よ、何かおかしい?」
二人の表情の理由がはっきりと分かっているパチュリーの顔はほんのりと赤い。もちろんパチュリー自身も自覚している。
炬燵のせいだと言おうとしないのは、それを口に出すことと底無しの泥沼に飛び込むことが同義だと分かっているからである。
「いやあ、あんなに必要無い必要無いって言ってた割にお気に召したようで良かったと思ってるだけだぜ。なあアリス?」
「ええ」
「……だって暖かくて心地良いんだもの」
ニヤニヤを深める魔理沙とアリスを困ったような目で見つめながら、それでもパチュリーは一向に動こうとしない。
完全に、魔理沙とアリスの炬燵の虜となっていた。
「こぱちゅむりだな」
「こぱちゅむりね」
「――――!!」
パチュリーの顔が、より一層赤く染まる。何とか反論しようにも、動く気になれない身では何を言っても説得力が無い。
恥ずかしいやら情けないやらで黙るしかないパチュリー、もといこぱちゅむりである。
「もしかしたら、本も全部小悪魔に取ってこさせてるんじゃないか?」
「うっ」
「食事や睡眠も同じ体勢で取ってそうね」
「ううっ」
魔理沙とアリスの言葉に、パチュリーはビクビクと体を震わせる。図星以外の何物でもない。
そしてそれは、二人にとって面白くて仕方がないことなわけで。
「こんな体勢で本を読んでも腰とか腕とかに負担が大きいだろうになぁ」
「炬燵の中に入ってたら眠くなってしまうから効率も悪いだろうしねぇ」
「うううっ」
炬燵の中に潜り込むことは、まどろみの世界に身を置くこととほぼ同じ行為である。事実、炬燵を使うようになってからパチュリーの読書効率は著しく低下していた。
まずいなーと思わないでもないパチュリーであったが、それを吹き飛ばしてしまうほどに気持ちが良いのだから仕方が無い。
「どう、パチュリー? 炬燵の良さ、分かってもらえたかしら?」
「ついでに、私たちの功績もな」
「…………はぁ」
パチュリーは軽くため息をつく。二人の思い通りに動いている自分が気に入らなかったが、そんなことも言っていられない。
何故なら、
「気に入らないって言うなら持って帰るからな」
「私たちだって使いたいんだから」
笑顔で脅迫してくる性悪が二人ほどいるからである。私へのプレゼントという話はどうなったんだ、などと言っても状況が変わらないのは火を見るより明らか。パチュリーが取れる選択肢は一つしか存在していなかった。
「……そうね、大したものよ。あなたたちも、炬燵自身もね」
何よりも好んでいたはずの読書をも上回る魅力を持った炬燵に、それを作り上げた二人に、パチュリーは屈服する他無かった。
嬉しそうにハイタッチを交わす二人は見なかったことにした。魔女としてのせめてものプライドだった。
「それはともかく、私たちも入らせてもらうぜ。……ああ、こりゃ本当に気持ちいいな」
「苦労して作った甲斐があったってものね」
「ちょっと、狭いわよ」
魔理沙もアリスも、パチュリーと並ぶように炬燵に身を潜らせる。
普通の炬燵とは一味も二味も違う心地良さに、二人もすぐに捕らわれてしまうのであった。
その後、話を聞きつけた多数の人間やら妖怪やらが炬燵を巡って激しい争いを繰り広げることになるのだが、それはまた別の話。
後書き
まったりスレへの投稿は十一月二十日。冬支度のテーマがぴったりの時期でした。
何だかんだで一ヶ月近く放置していたら、すっかりレティが元気な時期に(汗)
こぱちゅむり可愛いよこぱちゅむり。
パチュリーはこんな感じがデフォ。人間味が強いアリスとは違い、割と純度の高い魔法使いさん。
私はあまり炬燵に入る機会がありません。布団の暖かさは良く知ってますけど、似たようなものなんでしょうかね。