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 龍。
 人間に止まらず妖怪もそれ以外も信仰する幻想郷の最高神。
 博麗大結界が完成した時に現れたと伝えられ、その後姿を見たという話はどこにもない。
 人々は伝承を崇拝し、永きを生きる妖怪はその姿を思い出しては畏怖を抱く。





 山際から顔を出したばかりの太陽の光が朝露に反射し、私の目に飛び込んでくる。眩しさに目を細めて空を仰げば、透き通るような水色の空が広がっていた。
 雲一つ無い快晴だが、どうも昼過ぎにはかなり雲が広がりそうだ。夜には雨か雪になるかもしれない。
 明け方の人里には物が動く気配は無い。少し前までは稲の収穫の準備を始める人影がちらほらしていたが、収穫祭の終わりと共にぱったり姿を消した。やることが無くなった、というよりそろそろ寒すぎるのだろう。肌に触れる空気は冷たく、じんわりと体温を奪っていくような感覚さえ感じてしまう。
 誰もいないことに開放感と寂しさを感じつつ、龍神の石像の目の色をチェック。昨日は灰色だったそれは、濁りの無い白に変わっている。今日の天気予報は大はずれ。龍神様は機嫌が悪いらしい。反対に機嫌が良い時は、曇っている時に白を灯し快晴を現実にするそうだ。
「気分で変えられるほど簡単なものじゃないってのにねえ」
 人間の思い描く龍は随分と身勝手である。本当にそういう存在だと思っているのだろうか。

「こらこらお嬢ちゃん、こんな朝早くから出歩いちゃ駄目じゃない」
「えっ……」
 驚きが喉に詰まって押し出される。結果として生まれたのは動物の鳴き声のような変てこな音。
 誰もいなかったはずなのに。いや、それ以前に――
「そんなびっくりしなくても取って食ったりはしないって。いいからこっち向きなさいがきんちょ」
「む」
 笑い声の混ざった第二声に、先程とは別の意味でびっくりする。
 どこの誰だか知らないが、この私を子供呼ばわりするとは良い度胸じゃないか。
「誰がガキよ誰がっ!」
 片足を上げコマのように半回転。のつもりが、勢い余って一回転半。
 両手を広げてバランスを確保、声の主を視界に収める。
「朝早くから元気ね。嫌いじゃないよそういう子は」
 気風の良い笑みが気持ち良い。沈んだ気分も引っ張り上げてくれそうな、そんな頼りがいのある表情である。
 彼女は空にあぐらをかくように座り、立てた左膝に手を置いていた。
 青い髪、洋風もどきの赤い服、そして背中の大きなしめ縄。
 知っている。最近幻想郷へやって来た、その癖大した実力と信仰を併せ持つ、
「八坂、神奈子」
「……へえ。知ってるんだ、私を」
 私が名前を言った途端に人好きのする笑みは影を潜め、大きく開かれていた瞳は私を値踏みするように細まっていく。
 当然だろう。神の名と姿を知っている存在など極々限られている。そのレア者が誰なのかさっぱり分からないとなれば警戒して然るべきだ。
「知ってるの。ずっと見てたからね」
「ストーカー?」
「そうかも」
 袖で口元を隠し、お上品に笑ってみせる。イニシアチブはこちらにあるのだ、余裕を振りまいて損は無い。あまり意味も無いけど。
「で、そのストーカーの容疑者の貴方は、そうね――」
 会心の笑顔もどこ吹く風、神奈子は眉一つ動かさない。やはりというか当然というか、のんびり私に付き合う気は無いらしい。
 私とは対照的に表情の硬い彼女は、『ね』を長く伸ばしながら膝を指で叩いている。とんとん、という耳障りの良い音はきっと彼女の思考の潤滑油。咎める気にはならないが、神様の行動にしてはちょっとはしたないと思う。
「――何なのかしら」
 発されたのは誰何するものではなく存在自体を問うもの。
 大正解。さすがにいい眼をしている。
 私の姿を認められたのだから当然と言えば当然か。
「龍よ」
「……え?」
「龍神。日が浅い貴女でも聞いたことはあるでしょう」
 細められていた目が丸くなる。瞬きを忘れたそれはよく出来たガラス細工のようで、だから神様がそんな呆けた顔をするなっての。
「龍って、その、大結界が出来た時に空を覆いつくしたっていう、あの――」
「それそれ。大きすぎて不便だから普段は適当に人型を取ってるの」
 ああ、そうだった。
 今の私は十そこそこの少女。がきんちょと呼ばれても何もおかしくない。
「し、失礼致しまし――」
「はいストップ」
 止める間も無く地面に両手を付いた神奈子が、そのまま頭をも擦り付けようとしたところを強引に止める。髪を思い切り掴んでしまったが仕方あるまい。もう少しふてぶてしいと思っていたが見込み違いだったか。
「痛たたたた!?」
「誰がそんなことしてくれって言ったのよ」
 脇の下に手を入れて持ち上げ、強引に立ち上がらせた。髪を引っ張られたのが相当痛かったのか、鋭さを無くした目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「ですが」
「ですがじゃない」
「うー」
 鳴くな。
 全く。これじゃ私がいじめているみたいじゃないか。
「いい? 貴女が私を見ることが出来るのは、それだけ貴女が信仰を集め力を持っているからよ。少なくともここまで降りてくる神の中では一番力を持っていると思って間違いない」
「はあ」
 曖昧な気配ではなく存在として認知されたのは初めてだ。人里にちょくちょく現れる神とはレベルが一つ二つ違うらしい。さすがに神社に祀られている神である。とはいえ、今の博麗に私が見えるかどうかは少々疑問だけど。
「本当はちょっと集めすぎな気もするんだけど、あれやこれやが動かないところを見ると問題は無いみたい。他とのバランスを考えながらもっと頑張ってね」
「……頑張ります」
 幻想郷を動かすのは神ではない。平和を約束した妖怪たちが沈黙を守っているのだから、私が動く必要はどこにも無い。
「まあそんなことはどうでもいいんだけど」
「え?」
「友達感覚の方が信仰が集まりやすいと言ったのはどこの誰だったかしら」
 神の神奈子が、人間の霊夢に対して言った言葉。
 人間と神が友達感覚で付き合うのなら、神ともう少し格の高い神が友達感覚で付き合うのも間違いではあるまい。
「なーるほど。本当にストーカーだったのか」
 溜息と共に、神奈子の全身から目に見えて力が抜けていく。水を搾り出して元の大きさに戻るスポンジのように、縮こまっていた体も元通りの大きさを取り戻した。
「そういうことなら遠慮はしないよ」
「どうぞどうぞ」
「じゃあ、とりあえず肩揉んでくれない? 久しぶりにかしこまったら肩が凝っちゃって」
「図に乗るな」
 へら、と笑った神奈子の胸元に裏拳を叩き込む。
 ずびしとめり込ませたつもりだったのにむにゅーと跳ね返されてしまった。
 恐るべしおっぱい。

「しかし、彼の龍神がこんな幼子だったとはねぇ」
 両手を膝につき、腰をぐっと曲げて顔を近づけてきた。顔には全開の好奇心。思案に微笑を少し混ぜたその表情は、成熟した顔を幼く彩っている。
「偶然よ偶然。昨日は貴女と同じくらいだったんだから。一昨日はお婆さん」
「何それ? あんた毎日違う顔してるの?」
 何気無く頭の方に伸びてくる手をはたく。そう簡単に撫でさせてやるほど私の頭は安くない。あからさまな舌打ちが聞こえたが聞いていないことにした。こういう輩は半端に咎めると嬉々として歯向かってくると相場が決まっている。危うきには近寄らないに限る。
「それ位しかすることが無くてね。神なんて存外暇なものよ」
「その気持ちは分かるけど……でも――」
 ふーむと唸って腕を組む。強張ったり顰めたりと良くない方向へ変わっていく表情を見る限り、思考の内容はあまり良いものではなさそうである。
「一つ聞きたいんだけど、いいかしら」
 力の抜けた笑みはどこへやら、引き締まった表情は別人にさえ見える。歌うような弾んだ声色も真剣なものへと様変わりしていた。
 そこで何となく予想がつく。毎日姿を変えるということが何を意味するのか理解したのだろう。迂闊だった。少々浮かれすぎたか。
「何でも答えてあげるわよー」
 その真剣さを嘲笑うように肩を竦める。私の声は軽い。軽すぎる位に軽い。
 神奈子に背を向け空を見上げた。つい先程までひたすらに青一色だった空は、ぽつぽつと雲が侵食を始めている。
「あんたを龍神って呼ぶのは私を八坂の神って呼ぶようなものよね」
「そうね」
「私は神奈子。あんたは?」
「知らない」
 ある、とも無い、とも違う。
 遥か昔には持っていたような気もするが、どこかで落としてそのままだ。私はもう覚えていない。教えてくれる人もいない。
 幻想郷の一大事にだけ現れる『龍』は畏怖に近い敬意の中に生きる人智を超えた存在だ。力量はともかく、感情も思考もそこらを歩いている人間や妖怪と何ら変わりない『私』はそれとあまりにずれすぎている。故に私は姿を隠さねばならない。一人歩きしてしまった龍神様を守るために、私は表舞台に立つことを許されない。
 神はフランクな方が良いと巫女に語ったのを私がどんな想いで見ていたかなど、彼女には到底理解出来ないだろう。
「貴女の想像通り、誰かと話したのも云百年振り。言葉が返ってくるって素敵なことね」
「……」
「何? 同情してくれるの?」
「いいや、全然」
 責めるように、嫌みったらしく捲くし立てた言葉は、神奈子の意外な返答で断ち切られた。神奈子にぶつけるために準備した言葉は行き場を無くし、私の中をぐるぐると回っている。ぶちまけたかった不満が。聞いてもらいたかった愚痴が。普段は意識しないよう努めている弱さが、私の心をかき乱していく。
「凄い凄いと言われてる龍神様も案外可愛いんだなって思っただけ」
「……笑いたければ笑いなさい。どうせ全部忘れてもらうことになるんだから」
 動揺を押し殺して、告げるべきことだけを告げる。
 神奈子を信用していない訳ではない。私の性格はおろか会ったこと自体、誰かに話すとは思えない。けれど念には念を入れなければならないのだ。ちょっとしたことが取り返しのつかないこと繋がるケースなど星の数なのだから。
「寂しがりの癖に徹底してるのね。そんなことするの辛くない?」
「さあ? 言ったでしょう、誰かと話したのも、って」
「神様も楽じゃないわね」
「全くよ」
 からからと笑う神奈子からは楽しそうな気配しか伝わってこない。
 嘲笑っている訳ではなく、同情している様子もない。彼女の考えが読めない。
「私が何を言っても、あんたは私の記憶を消すんでしょうね」
「ええ」
 誰かに愚痴をこぼしては記憶を消そうと考えたことがあった。今から用いる術もその時に作ったものだ。
 けれど、その後を考えると実行には移せなかった。私を洗いざらい吐き出した相手が他の人と一緒に龍神様を語る。考えただけで頭痛がする。
「そして頑張って隠れるんでしょう? 私がどんなに目を凝らしても見つけられないようにするために」
「そうかもね」
 その通りだ。
 神奈子は確かに多くの信仰を集めているが、私のそれは次元が違う。いくら神同士が引き合うものであるとはいえ、全力で気配を絶った私を見つけることなど出来るはずが無い。
「偶然だったけど、貴女と話せて楽しかった。でも、もうお別れよ」
 神奈子の頭に手をかざす。見上げた顔は、尚も楽しげなものに彩られていて。
「じゃあ、一ついいことを教えてあげる」
「手短にお願い」
 鬱陶しそうな表情を作って吐き捨てたけど、目は神奈子を注視して離れない。彼女に期待している自分は隠せていない。
「困った時の神頼み。常識ね」
「っ……!」
 ありふれた言葉に息を呑む。言わんとする意味は、閉じられ停滞していた私の心に新鮮な風を吹き込んだ。
 ニヤリと笑う人間臭い笑みが例えようも無く格好良い。神らしい厳格さには合格点すら付けられないけど、神が有するべき頼もしさは満点を付けてもまだ足りない。
「あんたが一人で困ってるなら、私があんたを助けてみせる。訳有りお姫様の世話は管轄外だけど、まあサービスよ」
「…………あり、がとう」
 何とか、それだけ言えた。
 奥歯を砕けんばかりに噛み合わせているから、言葉なんて出てくるはずが無い。
 溢れようと押し寄せてくる涙を必死に堪えている私の前で、神奈子はただ静かに笑みを浮かべていた。

「神様のありがたいお話はこれでお終い。何か得た物はあったかしら」
 数秒か、数分か。押し寄せていた波が引いたところで神奈子が口を開いた。
「どうでしょうね」
 棒読みの返答。ふとした弾みでまた波が襲ってきそうだったから。記憶を消すとはいえ、別れの際に情けない姿は見せられない。
「……今度こそお別れよ」
 何も言わないまま、何も言わせないまま、術式を展開した。かざした手が強い光を帯び、神奈子の姿が白く消えていく。
「……?」
 光が彼女の顔を覆い尽くした辺りで、にょきっと手が生えてきた。何かを探すように、辺りをわしゃわしゃとかき回している。
「――――」
 どうしようかと迷ったが、空いている手を差し出した。今の私には大きすぎる手を取り、全力で握り締める。いつか、これを頼りに私を見つけてくれるように。
 そうならないよう記憶を消しているというのに、そんな正論は彼方に吹き飛んでいた。神奈子ならきっと何とかしてくれる。何の道理も無い無茶苦茶な期待が、けれど何よりも心強かった。
「ずっと待ってるから。助けて、神奈子」
 光に包まれた神奈子の表情は窺えない。逆もまた然りだ。今の私の顔は、誰にも見られていない。

 手が空気を掴む。程無くして光が収束する頃には神奈子の姿は無くなっていた。今頃は山の上の神社へと戻っているはずだ。私の痕跡は残らない。
「思った以上にふてぶてしいやつだったわね……。私を誰だと思ってるのやら」
 この私に説教くれやがったのだ。もう一度見つけるくらいじゃあ許してやらない。出会い頭に馴れ馴れしくあんたと呼んでくれなかったら、今度こそどうしようもないくらいに引き篭もってやる。
 でも、もし私のことを思い出してくれていたら。その時は、少しくらい頭を撫でさせてやっても良いかもしれない。
「楽しい楽しいかくれんぼ。隠れるのは私、見つけるのは貴女」
 こんなに気分が昂るのはいつ以来だろう。思い出せない。もしかしたら初めてなのかもしれない。
 気ままに髪を撫でつける風は冷たい。冬が近づいている今は当然だけど、真夏であっても無機質な熱さしか感じない。
 握り締めた手は大きくて暖かかった。あの手に撫でられれば、思わずうたた寝をしてしまうほどに心地良いに違いない。無駄に大きい胸を枕に、腕の中で眠る自分の姿が浮かんでくる。
「お母さん? 血縁は無いからおばちゃんか。面と向かって言ったら怒るだろうな」
 顔を引き攣らせる神奈子と笑っている自分を幻視して、私は知らず頬を緩めていた。



「……あれ。そういえば」
 神奈子が私のことを思い出したとしても、その時の私が今と違う姿だと困ったことになってしまう。人でも妖でもない気配を持った生き物などいくらでもいるのだ。
 それらしい相手に見境無く龍神かと問えば面倒なことになりかねない。つまり、
「聞いて驚け幻想郷の諸君。汝らが崇拝する龍神は年端もいかない子供なのだ」
 言葉に出して酷くがっかりした。
 何てこった。




創想話に投稿したものにオチを追加。
お題「幻想郷ができる時に現れた龍のお話でもひとつ!」で書いたもの。
お題を一目見た時に瞬く間にプロットが組みあがったので割と楽に書けました。神奈子がいなかったら多分挫折してたんじゃないかなぁ。