※妖霧事件(つまり萃夢想)はアリスが解決したことになっています。



「ああ、やっぱりここか。探したわよ萃香」
「げ……アリス。また懲りもせず私を解剖しようっていうの? 勘弁してよ」
「そうはいかないのよ。少々事情が変わったから」
「事情?」
「実は――」

 少女説明中……

「――なるほど。アリスも随分といい子になったわね」
「う、五月蝿いわね! それで、引き受けてくれるの、くれないの!?」
「照れない照れない、からかってるわけじゃないんだから」
「御託はいいから――」
「いいわよ」
「えっ?」
「大体ね、そんなこと言われて断る人なんていると思う? 手伝ってあげるわ、誠心誠意。約束するよ」
「ありがとう。助かるわ」
「いいっていいって。その代わり、一つ条件をつけさせてもらうわ」
「条件?」
「そんな嫌そうな目で見ないでよ、別に変なこと要求するつもりは無いんだから。条件っていうのはね――」












 紅魔館にある大図書館。扉で繋がってはいるものの、空間的にほぼ断絶された異界である。日光は完全に遮断され、空気は悪いものの温度、湿度はほぼ一定。
 本にとっては紛うこと無き楽園。空気の悪ささえ気にしなければ、本を読む者にとっても楽園――のはずなのだが。

「やれやれ。うちの猫イラズはどうしてこう働かないのかしらね」

 本を読んでいたパチュリーは、視線を少しもずらすことなく呟いた。

「侵入するネズミが優秀なのよ」
「なるほど。なら仕方ないわね」
「でしょう」
「でもね、本当に強い者はその強さを誇らないものよ」
「へぇ。じゃあここのお嬢さんはさぞかし弱いんでしょうね」
「……何事にも例外はあるのよ」
「じゃあ、私もきっとその例外の一部ね。何せあなたより強いんだから」
「やる気?」
「それも楽しそうだけど、答えはノーよ。わざわざ喧嘩を売りにここまで来るほど乱暴じゃないもの」
「そう」

 そこで言葉を切り、パチュリーは読んでいた本――とある冒険家の手記――を音を立てて閉じた。次いで、声の方へと視線を向ける。

「久しぶりねアリス。元気そうで何よりだわ」
「それはどうも。会えて嬉しいわ、パチュリー」

 七曜の魔女と七色の魔法遣い、およそ一ヶ月ぶりの再会であった。

 二人の親交の始まりは妖霧事件の後。はじめの内は、アリスが勝手に本を読んで勝手に帰るだけであった。十三度目に訪れた時にパチュリーは椅子を勧め、十八度目には咲夜に頼んで茶を出し、今では門を顔パスで通るほどになっている。率直に言って、二人は友達と呼んで何の差し支えも無い間柄であった。

「それで、今日はどうしたの?」
「パチュリーにお願い……というか取引に」
「へえ、珍しいわね。何?」
「私と一緒に、人間の村で劇をやらない?」
「……………………は?」

 思考が即座に凍結。次いでまばたきが消失。さらに呼吸が停止し、五感が活動を止め、ついには――

「ほら。それくらいにしておかないと死ぬわよ」
「アリスが変な冗談を言うからよ」

 苦笑するアリスに、パチュリーはため息を返す。

「冗談……ねぇ」

 アリスは、パチュリーという人――ではなく魔女をそれなりによく知っていた。自分の言った言葉を冗談としか受け取らないだろう、という予想は少し考えれば出来た。
 だから、次の手はきちんと準備してある。アリスは何の躊躇も無く、持っていた一冊の本をパチュリーの方へと放った。

「何よこれ?」
「いいから読んでみて。まあ内容は――」
「…………!」
「表紙を見れば分かると思うけど」

 表紙を見たパチュリーの顔が訝しげなものに変わる。表紙に書かれているのは、「出演:人形&パチュリー」という文字だけ。僅かな装飾も無い、ただのノートである。
 一般的に、それは台本と呼ばれる物。そして、その台本は既にパチュリーが劇に出ることを前提として作られているらしい。

「脚本、監督は私。大事にしてよね、台本は一冊しかないんだから」
「まったく。こんなノートまで持ってきて私をからかおうなんて、何か悪いものでも食べたんじゃないの? きのことか」
「今日のパチュリーは冗談が多いわね。疑うのは目を通した後にしてくれない? 尤も、それを見てまだ冗談だなんて言えるバカを私は友人にした覚えは無いけどね」

 パラパラと、パチュリーはページをめくる。最初の内は面倒そうに、関心無さ気に。しかし、その表情はすぐに驚愕に塗りつぶされていった。
 全ページに渡って書かれているのはト書きだけではない。場面の雰囲気や動作に至るまで、細かい書き込みでびっしりであった。
 このまま別のノートに写すだけでもそれなりの時間と労力を必要とする量である。とてもではないがからかうためだけに作る量ではないし、そもそもこのノートを写本だと思うほどパチュリーの目は曇っていない。紛れも無く、アリス入魂の一品であった。

「…………」

 無言のまま、パチュリーは最後までページをめくり終える。裏表紙に両手を置いて一つため息をつき、アリスの目をしっかりと見て、

「お断りよ」

 これ以上無くきっぱりと、完膚なきまでに否定した。それはもう、かの海原雄山が料理を否定する時と同じくらい、完璧な否定であった。

「アリスが本気なのは分かったわ。でも、それと引き受けるのは別。お断りよ、人前で見世物になるなんて」

 取り付く島もない、とはこういう状況を指すのだろう。基本的に、パチュリーはあまり感情を表に出すタイプではない。それが、こんなにも不機嫌を露にしている――相当に珍しいケースである。そして、相当に絶望的な状況でもあった。

「用件はそれだけ? なら帰って頂戴。時間の無駄よ」

 そう言って、パチュリーは再び読んでいた本を開いてしまう。言葉以上に、態度が「帰れ」とアリスを威圧していた。
 しかし、アリスにはこのまま帰る気など毛頭無かった。二つ返事で了承を得られるとは思っていない。スペルで無理矢理叩き出されないだけでも僥倖だと、アリスはそう思っていた。

「たまには外に出てみたらどう? もう夜でも随分暖かいし、空気も美味しいわよ」
「……」
「折角知識を得たんなら、どこかで使ってみようと思わないの? 得るだけじゃ宝の持ち腐れよ」
「……」
「大体ね、知識だけじゃ肝心な時に役に立たないわよ? 知識だけじゃなくて経験も――」
「――さっきからゴチャゴチャと五月蝿いわね。そんなに帰りたくないのなら帰る気にさせてあげるけど」

 パチュリーの手に、魔法のように一枚のスペルカードが現れる。言うまでもなくパチュリーは本気。そして、今のアリスにはそれに対抗する手段が無い。人形たちはほとんどがアリスの家で留守番をしているし、アリス一人で発動できるスペルも本当に最小限の護身用しか持っていない。魔力そのものでは全く叶わない相手に、人形もスペルも無しで抵抗できるはずが無かった。

「本当に冗談が多いのね。私は争う気なんて無いわ、避けられないからスペルなんて使わないで」

 両手を上げて、降参の意を示す。そうしないと、今にもスペルを発動しそうだったのだ。
 こういう事態になることを予想できなかったわけではなかった。それでも装備らしい装備をして来なかったのは絶対に説得できるという自信と、パチュリーに対する信頼の表れだった。
 相手に信頼してもらうためには、まず自分が相手を信頼しなければならない。人付き合いにおける基本中の基本であり、アリスの教訓の一つであった。

「使わないであげるからさっさと帰りなさい。私はそんなに気が長い方じゃないわよ」
「パチュリーにとっては絶対プラスにしかならないと思うんだけど」
「くどいわね。アリスがそう思っても、私がそう思わないのだから契約は成立しないわよ」

 スペルカードは姿を消していたものの、突き刺すような視線は一向に丸みを帯びる気配が無い。もうこれ以上何を言っても無駄だろう。諦めて帰るしかない。
 この場に居合わせた者がいたとしたら、百人中九十九人がそう答えたであろう。そう、まだ切り札を切っていないアリス以外は。

「そういえば、交換条件をまだ言ってなかったわね」
「今更ね。何を持ってきても無駄よ。劇なんて絶対に嫌よ」

 ――出来ればこれには頼りたくなかったんだけど、仕方が無いか。
 ため息を一つついてから、アリスはパチンと右手を鳴らした。

「シャンハーイ」

 アリスの背中の影から、上海人形が現れる。両手で抱えるようにして、一冊の白い本を持っていた。微妙にフラついているあたり、上海人形にとっては本が重すぎるのだろう。たかが一冊の本なのに、上海人形が持つと全身を守る盾のようだ。

「……っ!」

 それを見て、パチュリーの目が細まる。本のタイトルは、上海人形の手に隠れて一部しか見えない。一部しか見えないのだが、その一部はあまりに強烈なインパクトを持っていた。

「パチュリーが劇に出てくれるのなら、この本をあげるわ」
「アリス……もしかして、その本――」
「そう。幻想郷にはいないはずの生物。鬼についてまとめた魔道書よ」

 パチュリーの目に入ったのは、僅かに一文字。鬼という一文字。

「タイトルは鬼の生態と性質。一応言っておいてあげるけど、生半可な本じゃないわよ。幻想郷唯一の鬼、伊吹萃香の全面協力を得て書き上げた至高の一品なんだから」
「それはまた……とんでもない物を持ってきたわね」

 パチュリーの視線は、その魔道書に釘付けであった。無理も無い。幻想郷の全ての知識が集まるとされるこの図書館にも、鬼に関する魔道書は一切存在していない。鬼はとっくの昔に幻想郷から姿を消していたからだ。故に、目の前のそれはのどから手が出るほど欲しいのだが――

「本物かどうか確かめないと、是とも否とも言えないわね。見せてくれるかしら?」

 ずい、と一歩前に出るパチュリー。

「お断りよ。速読でもされたら、エースがただの紙切れになってしまうもの」

 すっ、と一歩後ろに下がるアリスと上海人形。

「あら、心外ね。私がそんな下らないマネをすると思っているの?」
「思ってるわよ。あなたがこの本を偽物だと思うほどにはね」

 結論からいって、可能性はゼロである。アリスが紛い物を持ってくるはずが無いし、パチュリー自身もそれは十分に承知していた。

「いいから、さっさと決めなさい。時間はもうそんなに無いの。すぐにでも練習を始めなくちゃいけないのよ」
「ねえ、その前に一つ聞かせてくれないかしら」
「……何?」

 この状況で偽物を持って来ても、何のメリットも無い。そもそも、アリスは偽物をつかませてまでメリットを得るようなタイプではない。
 そこまで分かっていても、パチュリーは一つ解せない疑問があった。それはアリスのことではなく――

「この間言ってたわよね、あの鬼が協力してくれないから、魔道書の執筆が全然進まないんだって」
「ああ、言ったわねそんなことも」
「なのに急に完成なんて。それも全面協力? そんなの信じろって言う方がおかしいと思わない?」
「なるほど、その通りね」
「その通りよ」

 決まりが悪そうに、アリスは露骨に目を逸らす。それを見て、パチュリーは一抹の不安を抱かずにはいられない。
 パチュリーの疑問とは、つまりそういうことであった。協力する姿勢など皆無だった萃香が掌を返す理由が、パチュリーには分からなかった。そしてそれは、アリスが嘘をついているのではないかという疑問に直結する。本自体は間違いなく完成しているのだろう。しかし、鬼の協力を得た至高の一品、というのが誇張に思えて仕方が無かったのだ。

「どうしても言わなきゃダメ?」
「ダメよ。隠し事なんてされたら契約も何も無いわ」
「そうよね……」

 睨み付けてくるパチュリーに根負けしたのか、アリスはやれやれと肩を落とした。そして目を逸らしたまま――むしろ、更に目を逸らして言った。

「パチュリーを人里に引っ張り出すための口実に魔道書を作りたいから協力して欲しい、って言ったの。即OKしてくれたわよあの子」
「なっ……」
「本から知識を得るのも大切だけど、外の空気を吸って色んな人と話でもしないと生物としてダメになるわよ。その辺り、萃香はよく分かってるみたいね」
「余計なお世話よ」
「そうね、余計なお世話よ。でもね、放っておけないじゃない。あなたは私の友達なんだから――」

 ごにょごにょ、ごにょごにょ。
 顔を真っ赤にしたアリスの言葉は、小さすぎて最後の方は全く聞き取れなかった。それでも、伝えたい言葉は全身からありありと伝わってきた。

 分かり切った気持ちを、わざわざ口に出すこともない。
 そっぽを向くアリスを見つめながら、パチュリーは穏やかな気持ちで口元を緩めていた。












「それにしても、一体何を考えてるの?」
「さあ、ね。行けば分かるわよ」

 夜空を覆わんばかりの星の下、二人はマーガトロイド邸を目指して空を飛んでいた。もう七月に入っているとはいえ、高速飛行をするには少々気温が低い。二人とも薄手のカーディガンを羽織っている。

「ところで、今日は何の日か知ってる?」
「今日? 七月七日といえば――七夕の節句、かしら」
「そう。天上での愛する二人の再会にかこつけて馬鹿騒ぎする日よ」
「宴会をするにはうってつけってわけね」

 面倒臭そうにパチュリーはつぶやく。

 萃香がアリスに出した条件――それは、七夕の日に三人で宴会をしようというものであった。
 正直なところ、あまり気乗りはしていなかった。適当に付き合ってさっさと帰ろう。そんなことを考えていた。

「気乗りしないのは分かるけど、私とあの魔道書に免じてつきあってやってよ」

 あの魔道書――上海人形が持っていた「鬼の生態と性質」は今は図書館のテーブルの上。重荷が無くなって楽になったからか、それとも別の理由があるのか、上海人形は少しばかり嬉しそうな表情で二人の後ろに続いている。

「分かってるわよ。分かってるから今こうして一緒に行ってるんじゃないの」

 パチュリーと萃香は、度々宴会で顔を合わせていた。が、本当に顔を合わせていただけだったのだ。常に酔っ払い、常に誰かとからんで騒ぎ立て、常に輪の中心にいる。
 そんな萃香を、パチュリーはあまり好ましく思っていなかった。

「それにね。多分、パチュリーが思ってるほどつまらない時間にはならないわよ」
「え?」
「経験者は語るのよ」

 悪戯っぽい笑みを浮かべて、アリスはスピードを上げた。

「何よ、まったく」

 文句を一つ残して、パチュリーもそれを追う。
 マーガトロイド邸は、楽しい宴の時間は、もうすぐそこ。







「やっほー、元気?」
「……酔っ払ってるあなたよりはね」
「待ってろとは言ったけど飲んでろとは言ってないわよ」

 マーガトロイド邸の庭。豪勢な笹の側で、萃香が酒を肴に酒を飲んでいた。
 その側では、人形たちがせっせと短冊作りや笹の飾り付けにいそしんでいる。姿の見えない他の人形たちは、家の中で料理を作っているはずだ。

「大体ね、みんなが宴の準備を進めてるってのに自分だけ酒飲むなんてどういう神経してるのよ」
「いや、私も手伝おうとしたんだけどさ。蓬莱が自分たちでやるって言うから」
「蓬莱?」
「ホラーイ」

 蓬莱人形だけでなく、近くにいたオルレアン人形と倫敦人形も一緒に首を振る。タイミングも速度も一致する辺り、連帯感はバッチリである。

「何度言っても全然動いてくれなかったって言ってるわよ」
「だって何言ってるか分からないし」
「それはそうでしょうけど……。ほら、言い訳はいいから中から料理でも運んできて。キッチンの場所くらい分かってるでしょ」

 家の中から、いい匂いが漂ってきている。料理の完成は間近のようだ。

「こんな酔っ払いに仕事させて、何かあっても責任は取れないわよ?」
「常に酔っ払いでしょうが」
「あはは、違いない。それじゃちょっと行ってくる」

 言うなり、首を――首だけでなく、上半身全体をフラフラさせながら走っていく。尋常ではない酔い振りだが、足取りは何故かしっかりとしていた。不思議なものである。

「……仲が良いのね」

 萃香が家の中に入った後で、パチュリーはぼそりとつぶやいた。一瞬独り言なのか自分に向けた言葉なのか判断がつかなかったが、おそらく後者だろうと判断しアリスは口を開く。

「魔道書を作るのに一ヶ月くらい一緒にここにかんき――、一緒に住んでたから。嫌でも多少は仲良くなるわよ」
「そういうもの?」
「そういうものよ」

 納得いかない、とばかりにパチュリーは腕を組む。不穏な言葉は聞かなかったことにしてやった。

「折角の機会なんだから、思い切り不満をぶつけてみなさい。理解しようともしないで毛嫌いするなんてもったいないわよ」
「……」
「ちょっと、パチュリー? 聞いてるの?」
「……聞いてるわよ。そんな顔しなくても大丈夫。今更帰ったりはしないから」

 さも面倒そうに、パチュリーはため息をついた。帰れるものなら帰りたい――顔がそう語っていた。





「さて。料理も出揃ったことだし、始めるとしますか!」

 気分良さそうに、萃香は自分の杯に酒を注ぐ。次いで、アリスとパチュリーの杯にも同じ酒をなみなみと注いだ。

「じゃあ、乾杯して始まりの合図としますか」
「何に?」
「そりゃあもう、決まってるじゃない」

 アリスの問いかけに、萃香はニヤリと笑って答える。パチュリーに流し目を送りながら。

「酔いどれ彦星と引きこもり織姫の再会を祝して、よ!」

 気分良さそうに高らかに声を上げ、萃香は杯を高々と掲げた。

「酔いどれと引きこもり、か。真面目に引き合わせた私が報われそうにない組み合わせね」

 アリスは苦笑しながら、それでも楽しそうに杯を掲げた。

「……」
「何よパチュリー、ノリ悪いわね」
「……誰が引きこもりよ」

 杯を上げようともせず、パチュリーは萃香をにらみつける。もともと好ましく思っていないだけに、冗談抜きで気を悪くしていた。

「まあまあ。いいじゃない萃香なんて牛なんだから」

 彦星――アルタイルは、漢名を牽牛星という。何故女である萃香が彦星を自称したかというと、萃香が鬼だからだ。鬼も彦星、つまり牛も角を持っている。そんな単純な共通点から、萃香は彦星を自称していた。

「牛って言わないでよ……私だって好きで言ってるわけじゃないんだから」

 萃香とパチュリーは宴会で度々顔をあわせているものの、パチュリーが避けていたために向かい合って話し込むことは決してなかった。それは萃香にとっては面白くないことだし、寂しいことであった。
 だから、魔道書作成の条件に宴会を要求したのだ。契約による強制に加えて、共通の友人であるアリスの橋渡しもある。これならさすがにパチュリーも断りはしないだろう。萃香はそう思ったのであった。
 中々向き合う機会の無い女性――つまりは織姫であるパチュリーとしっかり向き合って話がしたい。そんな想いも込められているのだが、肝心のパチュリーには全く伝わっていなかった。

「ああ、なるほど。どうしてあなたが彦星なのかと思ってたら――ぷっ」
「あー、笑ったわね!? この引きこもり!」

 左手でパチュリーを指差しながら、右手の杯をグイッとあおる。乾杯はまだだというのに。

「誰が引きこもりよ、誰が……!」

 萃香に挑発され、パチュリーも負けじと杯を空にする。乾杯などという儀式は、もうどこかに行ってしまったらしい。

「あーあ。やっぱりこうなるのね」

 苦笑しながら、アリスは少しだけ杯を傾けた。この先どうなるかは分かりきっていたから、自分まで酒に呑まれてしまうわけにはいかないのだ。

「たまには思い切り不満をぶちまけなさいよ。大丈夫、面倒はちゃんと見てあげるから」

 酒を片手に言い争いを始めた二人を眺めつつ、アリスは手近にあった串焼きに手を伸ばす。折角人形たちが一生懸命作ってくれた料理だが、残念ながら二人は味わって食べるような状況にはない。せめて自分だけでも楽しまないと、人形たちに失礼ではないか。

「うん、美味しいわね。そのうち私より上手くなってしまいそう。うかうかしてられないわ」

 眼前で繰り広げられる、聞くに堪えない罵倒合戦をアリスは楽しんでいた。
 酒に呑まれ、雰囲気に呑まれ、萃香にありとあらゆる不満をぶつけるパチュリーが、いつかの自分と重なっていた。
 朦朧とした頭で暴言を吐き、人形たちを操り、スペルを放ったあの日。決着も結論も無いままに酔いつぶれただけだったが、次の日からは萃香と笑顔で笑い合えるようになっていた。
 きっと、パチュリーもそうなるのだろう。心行くまでぶつかりあった二人が仲良くならない道理は、無い。萃香とアリスがそうであったように。
 いつか、パチュリーと二人で飲み明かしてみたいものね。
 一人杯を傾けながら、アリスはそんなことを考えていた。

 天上では、彦星と織姫が一年ぶりの再会を果たしていた。きっと、静かに愛を語り合っているのだろう。
 地上では、酔っ払い二人がフラフラになりながら弾幕を展開しあっている。静かとはとても言えなくても、真剣に語り合っている点は同じだった。そして、二人を引き合わせたカササギが満足そうに微笑んでいるのも。






「……朝?」

 パチュリーの視界には、ただただ青い空が広がっていた。太陽はまだまだ低い位置にあるため、真上に空を見上げても太陽は見当たらない。

「……痛」

 頭が締め付けられるように痛む。頭の質量が数倍になったように重い。二日酔いであった。

「アリスと萃香は――まだ寝てるのね」

 二人は、パチュリーのすぐ側で眠っていた。パチュリーと同じ毛布で。三人並んで一つの毛布で眠っていたらしい。
 その光景を思い浮かべると少し照れくさくて、パチュリーは思わず苦笑を浮かべた。

「そういえば、七夕だったのよね……。萃香に付き合っていたせいですっかり忘れてたわ」

 正面にある笹を見て、パチュリーはつぶやいた。
 七夕と何の関係も無く呑んでいたせいで、本当に忘れていたのだ。自分でもどうかとは思うものの、とりあえず萃香のせいにすることにした。あながち間違ってもいないし。

 ややおぼつかない足取りで、パチュリーは笹の方へと歩いていく。たくさん下げられている短冊が何となく気になったのだ。
 アリスの短冊がある。アリスの人形たちの短冊がある。そして当然、萃香の短冊もある。そこに書かれていたのは――

『パチュリーと楽しく騒げますように』

 数度指でなぞって、自分の目に間違いが無いことを確かめる。そして、目を閉じて昨夜のことを思い出した。
 文句をぶつけ合い、酔いが回って倒れるまで戦った昨夜。冷静に考えれば失笑ものなのだが、何故かそんな気はしない。むしろ清々しくさえあった。

「あなたの願いはかなったのかしら? 萃香」

 言うまでも無い。パチュリーの記憶の中の萃香は、汚い言葉とは裏腹にとても楽しそうであった。そしてそれはパチュリーも同じ。何の駆け引きも魂胆も無い純粋な喧嘩があんなにも楽しいものなのだと、パチュリーは初めて知った。

「短冊はある。筆は……ああ、あったあった」

 この笹には、パチュリーの短冊だけが無い。それが何となく気に入らなかったので、パチュリーは短冊と筆を手に取った。
 何を書こうかと痛む頭を回転させる。しかし、たくさんあるはずの選択肢が悉く消え去っていて、パチュリーの頭には一つの文章しか思い浮かばなかった。

「まだ酔ってるのよ。そうに違いないわ」

 言い訳のようにつぶやいて、パチュリーは軽快に筆を走らせ、手早く笹に括り付けた。

「私は酔ってるんだから。酔ってるのよ」

 念を押すようにつぶやく。そして二人の方に目を向けると、そこには幸せそうに眠る二人の姿があって。

「起こすのも悪いし、帰ろうかしら。咲夜に何か作ってもらわないと」

 音も無く、ふわりと浮かび上がる。吹き抜ける風が気持ち良い。

「またね。アリス、萃香」

 静かに、青い空に溶けていく。後には、幸せそうに眠る二人と一つの短冊を新たに配下に加えた笹だけが残されていた。





『五月蝿くて小生意気な友人と、また馬鹿騒ぎが出来ますように』



ゼイアー誰てめぇ。
全体的に説明口調が過ぎるなぁとか思います。