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「よし、じゃあ資料室に」
「おまえ好きだな資料室」
「今日こそ有紀寧ちゃんのおまじないで……」

 春原くんは良からぬ妄想をしているようです。さてさて、今日のおまじないはどうなるのでしょうか?



 有紀寧さんとおまじないの本



「いらっしゃいませー」

 ずかずかと押し掛ける男二人を、資料室のシンボル有紀寧さんは相変わらずの笑顔で迎えます。

「コーヒー、準備できてますよ」
「うんうん、さすがは有紀寧ちゃん。僕のことをよく分かってる」
「悪いな、いつもいつも」
「いえいえ、わたしが好きでやっていることですから」

 しばらく、コーヒー片手に談笑にふけります。
 お話のネタは、春原くんの恥ずかしいことの暴露だったり、有紀寧さんのお友達のことだったり。
 笑い声と怒声の響く資料室には、ほのぼのとした空気が流れるのでした。



「さて、今日はお二人に見てもらいたいものがあるんです」

 お話が一段落ついた時、有紀寧さんはそう言って一冊の本を取り出しました。
 それは二人とも見たことの無い、見たことの無い字が表紙を彩っている古い本でした。

「古そうな本だね」

 春原くんは、素直に感想を述べます。見たまんまです。

「何が書いてある本なんだ?」
「はい、実は新しいおまじないの本です」

 そう言った有紀寧さんは、どこと無くうきうきした様子。

「ふーん、それ当たるの?」

 好奇心丸出しで有紀寧さんの手の中の本を見つめる春原くん。がっついた様子が餌を前に興奮するサルのようです。

「当たるかどうかは実際にやってみないと分かりません。よろしければやってみますか?」
「へえ、なんか面白そうだな。やってみろよ春原」
「え? 僕?」

 おまじないを使ってみたい有紀寧さんと、興味本位の朋也くん。二人同時に見つめられ、春原くんは思わず目をぱちくりさせます。

「うーん、せっかく有紀寧ちゃんが見つけた本だから試してみたい気もするけど、何だか怖いなあ」

 春原くんは白々しく迷ったフリをして頭を掻いています。試す気満々なのは、馬や鹿の目にも明らかです。

「じゃあせっかくだから試してみるよ。どんなのがあるかは分かってるの?」
「はい、大体読みましたから」
「それじゃあ……どんなのがいいかな……」

 結局あっさりと了承した春原くんは、あーでもないこーでもないと頭を捻ります。きっと、今までのおまじないが走馬灯のように蘇ってきているのでしょう。時々、苦しんだり泣いたりしています。

「よし、決めたよ有紀寧ちゃん」
「御託はいいからさっさと言えって。昼休みは長くないんだからな」

 朋也くんの言葉を無視し、ちょっとだけ真剣な目をした春原くん。

「僕が指定した相手が僕のことを好きになるおまじないってある?」

 それは洗脳です。

「はい、ありますよー」

 おまじないの本は洗脳までお手の物でした。

「なあ、それって犯罪じゃないのか?」
「何を言うんだ岡崎、おまじないくらいで犯罪になるわけ無いだろ」
「いや、宮沢のおまじないってほとんど呪いだからな……」

 朋也くんは、遠い目をして溜息をつきます。その強力さを知っているからこそ出来るちょっと大人の表情です。

「で、そのおまじないどうやるの?」
「はい、ええと……」

 どこかに旅立った朋也くんを置いて、有紀寧さんはページをめくります。それをキラキラした目で見守っている春原くんは、おやつを待つ幼稚園児のようです。

「では、まず逆立ちして下さい。誰かが手伝ったらダメみたいなので頑張って下さいね」
「マジかよ……」

 ぼやきながらも、春原くんは両手を床につき、真剣な目で地面を睨みつけます。知らない人が今春原くんを見たら有紀寧さんに土下座しようとしていると思うでしょう。

「のああっ」

 よく分からない掛け声とともに、春原くんの足が床を蹴り、体が床と垂直に立ち上がりました。体は、そのまま綺麗な弧を描いて――

「ぐふっ」

 一人一本背負いのような感じで、綺麗に背中から落下しました。

「うむ、百点」

 春原くんが描いた半円の軌道の美しさに、朋也くんは思わず満面の笑みで賛辞を送ります。

「春原さん、大丈夫ですか?」

 有紀寧さんは優しく春原くんをいたわります。でも、ちょっとだけ笑いをこらえています。

「ゲホッゲホッ、岡崎…何が百点…だ」

 背中を強打した春原くん、罵倒にキレがありません。張り切って床を強く蹴りすぎたために、ちょっとした呼吸困難に陥っています。

「……あはは、今のはちょっとしたデモンストレーションだって」

 それでも体裁を取り繕うような言葉が瞬時に浮かんでくる辺り、さすが春原くんです。

「ああ、確かに見事な軌道だった」
「あんまり褒めないでくれますかねえ!」

 朋也くんを睨んだ後、再び春原くんは両手を床につきます。ほんの少しだけ煤けた背中が春原くんの運命を暗示しているような気がするようなしないような。

「てぇいっ」

 再び掛け声とともに、床を蹴りました。春原くんの体は、地面と垂直になったところで、ストップ。見事、逆立ち成功です。

「ちっ、イマイチだな。三点」
「……きっちり成功してるっての」

 プルプルしている春原くんに、朋也くん辛口評価です。
 春原くん、声まで微妙にプルプルしている所辺りからいっぱいいっぱいさが伝わってきます。

「それではそのままの体勢で、コノマジナイリョウノウラナイノゴトク、と一息で三回繰り返してください」
「……一息?」
「はい。本にそう書いてありますから」

 本と春原くんを交互に見ながら、真剣な表情で有紀寧さんは言います。
 有紀寧さんの真剣さが伝わったのか、春原くんの目が一段と輝きを増し――

「コノマジナイリョウノウラナイノゴトクコノマジナイリョウノウラナイノゴトクコノマジナイリョウノウラナイノゴトクッ」

 プルプルした声で言い切りました。

「最後にそのままブリッジを決めて、立ち上がれば成功です」

 今にも崩れようとする春原くんに追い討ちをかけるように、有紀寧さんの言葉が春原くんの頭の上から降ってきます。

「……マジ?」
「マジです」
「マジかあ……」

 もう十分頑張ったよね? などという思考がプルプルしている体中が駆け巡ります。体中の筋肉がその思考に反応し、力を抜こうとしたその時。

「春原さん」

 有紀寧さんの期待に満ちた声が鼓膜を震わせました。

「……これが春原陽平のど根性だぁぁ!」

 その振動に力を取り戻した筋肉が足を前に振り、手と足の計四つが床につきブリッジの完成。そして、残った全ての力を両手に込め――

「はぁっ!」

 短い叫び声と共にその力を爆発させ。見事におまじないを完成させました。

「凄いです春原さん」

 有紀寧さんは、心からの拍手を笑顔で送ります。

「どうだ岡崎!」
「ん? ああ悪い見てなかった。出来たのか、そりゃ良かったな」
「岡崎ぃ……」

 朋也くんのあんまりな返答に、春原くんの目から涙がこぼれます。
 朋也くんには、春原くんよりも窓のふちに止まっているすずめの方がおもしろかったのでした。

「まあまあ、ともかく成功ですから。今から校舎を一周して、春原さんが最初に話しかけた相手を春原さんのこと好きにさせられますよ」
「最初に話しかけた相手、か。慎重にいかないとね」
「では、いってらっしゃいませー」

 笑顔の有紀寧さんと関心の無さそうな朋也君に見送られ、春原くんは意気揚々と資料室を出て行きました。

「ところで宮沢」
「はい、なんでしょう」
「カバーに書いてある文字、何語なんだ?」
「わたしにはちょっと……」

 苦笑を浮かべ、有紀寧さんは答えます。そこそこの国の文字なら見たことのある有紀寧さんでも、本の文字は見当さえつきませんでした。

「どうやって解読したんだ?」
「実はこれ中は日本語なんですよー」

 思わず本をパラパラとめくってみる朋也くん。有紀寧さんの言う通り、中身は普通に日本語で書かれています。

「何かこれ怪しくないか?」
「そうですか?」

 小首を傾げる有紀寧さんに、朋也くんは続けます。

「これが翻訳したものならどこかに翻訳した人の名前が書いてあるはずだろ? けどそんなものどこにも無いし、そもそも表紙と中身の古さがが全然違う。この中身、表紙に比べて随分新しいんじゃないか?」
「……え?」

 慌てて、有紀寧さんは朋也くんから本を受け取りました。色褪せた立派な革張りの表紙をよく見て、それから適当なページを開きます。一枚一枚丁寧に調べていくうちに、有紀寧さんの表情が目に見えて変わっていきました。

「…………あはは、新しくおまじないの本見つけた嬉しさで気が付きませんでした」

 もはや有紀寧さんは笑うしかありません。とりあえず本を丁寧に見つけた場所にしまい、ドアの方へ目を向けて。

「春原さん、どうなっちゃうんでしょう」

 半分諦めたように、有紀寧さんは苦笑しながら言いました。

「大丈夫だろ。あいつそう簡単に死なないから」
「いや、そういう問題では……」
「まあ、あの本と春原のことは忘れるとして」

 横に置いといて、というジェスチャーをする朋也くん。

「いくらなんでもそれは無責任でしょう」

 有紀寧さんは朋也くんを真剣な表情で見据えて、きっぱりと言い切りました。

「まあ、宮沢がそう言うのなら仕方ないな」

 面倒臭い、と密かに呟いた後、柔らかい笑顔を見せて言いました。

「前のおまじないの本、あるか」
「え? あ、はいありますよ」

 有紀寧さんはどこからともなく本を取り出します。絶対に外れない、使いようによっては人の人生を壊せそうな本です。

「しょうがないからあいつのこと元気付けられるようなおまじない、探してやろうぜ……ああ、ゲンキ玉注入以外のな」

 それを聞いた有紀寧さんは、嬉しそうに頬を緩ませました。

「記憶を消すようなおまじない、無いか?」
「やっぱり二人はお友達なんですね……ってそれは止めたほうがいいと思いますけど」
「あるのか?」
「ええ、一応は」

 有紀寧さんはページを開き、少し暗い表情をしました。

「このおまじない、ちょっとでも失敗すると記憶喪失になっちゃう可能性があるんですよー」
「あー……それはちょっとまずいな」
「はい。だから春原さんが落ち込んでいたら普通に慰めてあげてください」

 有紀寧さんは本を置いて、再びドアの方へを視線を向けました。面白がっている朋也くんとは違って、本気で春原くんのことを心配しています。
 朋也くんがそんな有紀寧さんから視線を外すと、ふとおまじないの本が目に入りました。
 今までロクに見たことも無かった本の表紙は、黒地に白で「おまじないの本」と書かれただけの丈夫そうな紙製の物。朋也くんは、正直売り物にしてはどうなのよ、と思ってしまうのでした。

 朋也くんは、何となくパラパラとページをめくってみます。本当にこの通りになるのなら呪いだと言いたくなるようなもの(いくつかは実証されているわけですが)から始まり、段々と質が下がっていくような印象を受けました。最後の方は、本当に取ってつけたような……。

「なあ宮沢」
「はい、なんでしょう」
「この本、段々しょうもなくなるのな」
「きっと書いてる人のネタが最初の方で尽きちゃったんでしょう」
「それで適当なことを書いた、か? 何のために」
「わたしには分かりませんが……きっと薄いと売れない、と思ったんじゃないでしょうか」
「だからって厚くしなくてもいいと思うけどな。さっきのヤツなんてこの本の半分も無いのに」

 何となく裏返してみると、裏表紙は塗りたくったような黒一色で何も書かれていません。

「中身がいい加減なら表紙もいい加減だな……」
「タイトル以外何も書いてありませんからねー」
「作者の名前も書いてないってのは凄いよな」
「それどころか出版社すらありませんよー」

 二人してあはは、と笑い合った後。図ったような同じタイミングで、二人の顔が引き攣りました。

「……何なんだこの本」
「さあ、何なんでしょうね」
「おまえこの部屋の主だろ? 何か知らないのか?」
「え、えーと……そんなこと言われても」

 空気が固まったような沈黙が流れます。二人とも何も言えないまま、時間ばかりが過ぎていくのでした。









「気付かなかったことにしよう」
「はい。何も知らないことにしましょう」

 昼休み終了のチャイムに正気を取り戻した二人が出した結論は、分からないことは知らないことにする、というある意味最も賢い選択でした。藪をつついて蛇を出してしまうとちょっとシャレにならないのです。

「じゃあ、俺そろそろ行くな」
「はい。また来てくださいねー」

 そうして朋也くんは、謎の本だらけの資料室を後にしました。

「何か忘れてるような気がするんだよな……」

 朋也くんが忘れている「何か」を思い出すのは、直視できないような顔になっている春原くんが教室に現れる、次の日の三時間目のことでした。


 ……資料室を出た春原くんに何があったのかは、また別のお話。