桜の盛りもとうに過ぎ、テラスからの景色は緑一色に染まっている。まだ夏には程遠い空が運ぶ空気は少々冷たく、日向ぼっこがこの上無く気持ち良い季節。
 だがしかし、女の子で吸血鬼のレミリアが太陽の下へとその身を晒すことは無い。陽の光が乙女の柔肌の天敵であるのはもちろんのこと、吸血鬼にとっては加えて致命傷なのだから。
 そんな訳で大きなパラソルに隠れつつ紅茶を傾けているレミリアは、折角テラスに居るというのに春と夏の境の風景はそっちのけ。思い詰めたような表情で虚空ばかりを睨んでいた。

「……むぅ」
 レミリア、ただいま絶賛お悩み中。
 口元に手を当て眉を寄せる様はともすれば怒っているようにさえ見えてしまうが、怖いという感想はどう頑張っても導けようもない。大きな館の当主といえども、普段は可愛らしい少女なのだ。威厳の安売りは三流の所業よ、とは彼女の弁。
 ありとあらゆる手段を考えてはみたが、満足出来る結果は終ぞ導けなかった。広げた思考回路は伸ばす方向を見失い、とうにギブアップを宣言して動作を停止している。
 彼女が行うべきは思考ではなく助力の要請。出来れば自分の中だけで片付けたかったのだが、出来ないものは仕方が無い。

「咲夜」
 空に目を向けたまま、その名を呼ぶ。
「お呼びでしょうか?」
 気配すら無かったメイド長は、レミリアの視界の隅ギリギリに突如出現した。初めての時は面食らってしまいびっくりするから突然現れるなと言ってしまったものだが、もうすっかり慣れっこである。存在自体が非常識なレミリアをして非常識と言わしめた咲夜の能力も、いつの間にか日常の中に溶け込んでいた。
「妹の身長は?」
「百二十四センチジャストですわ」
 紅魔館に身体測定の習慣など無い。当然フランドールの正確な身長など知っている筈も無く、何故答えられたかといえば今測って来たからである。
 咲夜のお家芸であるところのゼロ秒回答は、時を止めて考えたり準備したりすることで可能になる言わば手品。便利極まりない能力ではあるが、クロースアップマジックのタネとしては用いなくなった。失敗しても場が盛り上がるからで、狼狽え赤面する咲夜の姿はここでしか見られないとすこぶる評判が良い。
「測って来たの?」
「測って来ました」
「無断ね」
「無断です」

 突然体に違和感を覚えたフランドールは、凄い勢いで首をぶん回して状況確認に努めていた。
 あまりの勢いに首がもげそうだが、もげたところで平気な顔をして無かったことに出来るのが吸血鬼である。わざわざ歴史に干渉しなければならないハクタクと比べれば、首を乗っけてぽくぽくちーんは馬鹿らしい程に低コスト。きっと環境にも優しい。
 一通り眺め、何の変化も見当たらないことから咲夜の仕業だと判断し、また姉が何か下らないことに精を出しているのだろうと顔を綻ばせた。どうでも良いこと実に拘るレミリアが大好きなフランドールである。

「私の身長は?」
「失礼します」
 立ち上がったレミリアの後ろに回り、どこからか取り出したメジャーを宛がう。何の変哲も無いメジャーで正確に身長を測るのは簡単なことではないが、どんなことでも簡単にこなして見せるのが天下無敵のメイド長。裏では途方も無い努力と苦労と苦労と苦労が繰り広げられているが、不思議な程に苦にならないから不思議だ。
「百二十三センチと八ミリ。妹様より二ミリ低いようですね」
「二ミリ、か」
 親指と人差し指で輪っかを作る。すぐ近くにいる咲夜には、指同士の微細な隙間が辛うじて見て取れた。幅はきっかり二ミリ、レミリアとフランドールの身長差。
 固定された指が全く震えないのは、体が人間とは根本的に異なっているからだろう。見た感じが似通っていても、秘められた能力は次元が違う。
「大きいわね」
「そうですか?」
「そうよ」
 大きめのミジンコよりも小さい二ミリという長さは、咲夜には言葉にしなければ認識すら難しい。極限まで神経を尖らせれば何となく分かるような気がしないでも無いが、やっぱり分かる訳が無いというのが本音である。正直二センチでも怪しい。
「知ってる?」
「何をでしょう」
「あれがいつ私より背が高くなったか」
「さっぱり」
 咲夜のイメージでは、二人の身長は初めて紅魔館に来た時からずっとイコール。そもそも身長が伸びているなどとは思ってすらいなかった。思い込みって怖い。
「昔は私の方が高かったのよ。それが何? いつだったかしら、割と最近よ、もやしみたいにすくすく伸びちゃって。パチェを招き入れたからその辺伝染したのかしらね」
「……はあ」
 友人をもやし呼ばわりするのはどうかと思わないでもないが、パチュリーはパチュリーで口にするのも憚られるような暴言を当然のように口にしているのだからきっと何の問題も無いのだろう。許容範囲は付き合いの長さと比例する。
「このままでは姉としての沽券に関わるわ。即刻手を打たないと」
「妹様はそんなこと気にしませんよ」
「あれがどう思ってるかなんてどうでもいいのよ。いつも言ってるでしょう? 大切なのは私がどう思われていると思うかだ、って」
 何もかもが自分本位。レミリアの判断基準は自分がしたいかしたくないか、ただそれだけである。善悪も損得も関係無く、面白いかどうかさえ関係無い。全ては気の向くまま興味の湧くまま。重大なトラブルを生むこともままあるが、「知っていた」の決め台詞と共にかなり強引に解決させてきた。細かい事後処理は勿論咲夜の担当。

「とにかく、妹様よりお嬢様の方が身長が高く見えれば良いのですね?」
「そう」
 姉の妹への嫉妬としては割とポピュラーなもの。細かい感情は憮然とした表情からは読み取れなかったが、少なくとも負い目を感じていることは理解出来た。大抵のことは気にしないレミリアではあるが、フランドール絡みになると妙に突っかかることを咲夜はよく知っている。
 表への現れ方は少々異なるが、逆に関しても概ね同じであると言えた。人間の基準ではとても仲が良いとは言えやしないが、二人にしか分からない絆のようなものがあるのだろう。
「一日や二日では身長は伸びないので、別のアプローチを取らないといけませんね」
「方法は?」
「靴を変えるのが一般的だと思います。底の高い靴とか、ハイヒールとか」
「却下」
 咲夜が言い終えた瞬間であった。一秒もかかっていては遅すぎる。
 レミリアの応対の早さは咲夜とは違い予測によって成立している。長く生きていればそれなりに頭の回転も早くなるものだ。気心の知れた相手の台詞を予測することなど造作も無い。
「私にハイヒールは似合わないでしょう? 底の高い靴は歩きにくいからダメ」
 基本的にレミリアの全てを咲夜が取り仕切っているが、服装に関してはかなりレミリアの意見が強い。というのもレミリアがヒラヒラした服装を好まないためで、この辺りは咲夜と正面から対立している。新しい服を選ぶ際には、大声と弾幕が乱れ飛ぶのが通例となっていた。
「似合うと思うんですけどねぇ」
「却下よ却下。私は着せ替え人形じゃないんだから」
 レミリアの体は全体的に丸く、太陽を避け続けてきた肌は透き通るように白い。人形という評価が奇跡的なまでに違和感を生まないその外見には大袈裟なフリルの付いたドレスがおあつらえ向きなのだが、ただでさえ幼い外見が際立ってしまうという致命的な欠点があった。
 幼く見えようとより魅力的に見えた方が良いではないかと咲夜は言うのだが、どうしても頷けないのは妹の存在のため。
 手足がすらりと長いフランドールはレミリアと比べれば格段に大人びた体付きで、服もどちらかと言えば落ち着いた物が似合う。フリル全開のレミリアの隣に立てば、どちらの方が年上に見えるかなど考えるまでも無い。

「パチュリー様に頼んで背が高くなったように見える魔法をかけてもらうとか」
「それも却下。方針は悪くないんだけど」
 方針が正しいのにどうして駄目なのだろう――たっぷりと毒がブレンドされた紅茶を飲んだ時のようなレミリアを見ながら少し考えて、咲夜は軽く手を叩いて頷いた。
 パチュリーは外見に全く興味を示さない。わざわざ鏡を使わないと確認出来ないものに拘るのは時間の無駄だと言い切る彼女には、背が低いというコンプレックスが感情で理解出来ないのだ。相談すれば解決策の一つや二つは出て来そうなものだが、弱みを理解してもらえないのは解決しないより居た堪れない。
 というのは理由の一割弱で、メインの理由は別のところにある。自分が同じ立場であれば同じことを考えるだろうと思い、レミリアと同じように顔を歪めた。
 あんな考え方をしている癖に超が付く長身スレンダー美人に外見のことなんて頼めるか。嫉妬!
「靴による水増しはいただけない、パチュリー様にも頼れない……」
 常に少し浮いていれば良いのではないか、という提案は落ち着かないという理由で却下。爪先立ちしていれば良いのではないか、という提案は余裕が感じられないという理由でこれまた却下。
 小細工に勤しんでいるあんたに余裕なんざありゃしないだろうと意図的に口を滑らせたら、カップが砕けてゴミと化した。環境に優しくない。
「我侭ですわ」
「今に始まったことじゃないよ」
 それでも何とかするのがお前の仕事だろう? と、僅かに細められた瞳が語っている。何かしらの感情が込められているわけではなく、ただ咲夜を一瞥しただけ。瞳が細められたのは、壁で反射した光が眩しかったからに過ぎない。
 レミリアの命令は絶対で、咲夜が応えるのは当然である。事実とさえ呼べてしまう確定した未来に期待など必要無い。

「では、――――というのはいかがでしょう?」
 両手を超える却下の後。咲夜の提案に、レミリアの顔がぴくりと動いた。
 自身では描けなかった未来、けれど導かれることは確定していた未来が、朧に姿を現したのを実感する。経過、結果、その後。存在する筈の無い未来をはっきりと視たレミリアは、表情を変えないまま僅かに頷いた。
「面白いね。出来る?」
「出来ます。ですが妹様は間違いなくお気付きになるでしょう。どんなに楽観的に考えても一日が限度です」
「毎日やれば大丈夫、という訳でも無いのね?」
「はい。一度気付いてしまえば何度やっても同じです」
 身長差は一日では縮まらない。どれだけ経ってもレミリアがフランドールの身長を抜く保障は無い。半永久的な効果を得られなければ策としては失敗なのだ。
 いつもの澄ました表情が、僅かに強張っているのがレミリアにはよく分かる。作戦完了率ほぼ百パーセントを誇る咲夜は、それ故か自らの失敗に敏感だ。レミリアへの申し訳無さ以上に、自身の不甲斐無さを呪う。
「咲夜はまだまだね」
「申し訳ありません」
「代替案はある?」
「いいえ。これが最後です」
 後ろへ回された手が握り締められているのが腕の具合から見て取れた。袖の上からでも筋肉の動きが分かる程に力が入っているというのに、声には少しもそんな素振りが見られない。どうせ繕うのなら全部繕えば良いものを、とレミリアは思う。それが出来ないから人間であり、だからこそ面白いのだが。
「じゃあそれをやる以外に無いじゃない。何も難しいことじゃないわ、さっさとやりなさい」
「はい――終わりました」
「そう。じゃ、私は夕食まで眠るから」
 立ち尽くしたままの咲夜を視線から離し、躊躇無く日溜りの中へ体を投げる。
 ほんの一瞬前までは無かった影が、レミリアを焼き尽くす筈の日光を余さず遮断した。レミリアがパラソルの下に置き去りにした日傘が、真横に立つ咲夜の手に握られている。
「咲夜」
「はい」
 咲夜が歩くのに合わせて、傘が僅かに上下している。目に入る光の量が微妙に変わるのが不快だった。普段は走っていても飛んでいても決して起こり得ないという事実が、気分の乱れに拍車をかける。
「落ち込んで見せる暇があったらもう少しよく考えることね」
「っ……」
「最良の回答を作るためのピースは全て持っている筈よ。それなのに分からないのは怠慢に過ぎないわ」
 咲夜から日傘を引っ手繰り、ドアの前まで歩いていく。足音は自分のものだけ。咲夜は傘を取られた所から動いていない。
「刻限は今日の夕食。それ以上は待てない」
 ドアを開け、陽の届かない内部へと体を入れる。ドアを閉める寸前にちらりと振り返ると、雨に打たれた犬のように弱々しく俯く咲夜の姿があった。
「だらしないわね、本当に……」
 小さく溜息を吐き視線を前に戻しかけたところで、
「お姉様、咲夜いるー!?」
「がっ――!」
 全力疾走のまま飛び込みタックルを敢行したフランドールよって一瞬の呼吸停止を余儀無くされる。脱力していたレミリアに膨大な運動エネルギーを支えることなど出来はせず、減速ゼロで吹き飛ばされた。向かう先は閉めたばかりのドア。
 いくら館内で弾幕が咲き乱れるのが常である紅魔館とはいえ、絡まった二人に突っ込まれて破壊されないドアなど正面玄関を除いて存在しない。
「うそ……?」
「まず――」
 咄嗟に動かした右手が空気を掴む。持っていた筈の日傘は、衝撃で手から零れ落ちていた。
 言葉通り間もなく、ドアへと肉薄する。向こう側は吸血鬼にとっての地獄。太陽が我が物顔で光をばら撒く、あまりに眩しすぎる死の世界。
 一瞬後に訪れる激痛を予測し、目を丸くしたままのフランドールを強く抱え込んだ。



 ――全く、何やってんですか二人とも。



 気が付いたら、抱き締め合って突っ立っていた。
「あれ?」
 腑抜けた声が、絶妙のタイミングで重なる。
「…………」
 一瞬前の状況を思い出す。今の状況を把握する。
「今日は良い天気ですよ。殺人タックルごっこは場所を考えてから行って下さいませ」
 ドアを背にして、咲夜が腕を組んで立っていた。メイド長より更に一歩上の保護者モードである。一時間説教コースへ強制連行が常なのだが、安堵に満ちた表情を見る限り今回は例外であるらしい。中途半端な悪事は無駄に強く咎められるが、致命的な危機に繋がるような悪事であれば身の無事を喜ぶことが優先されるために説教はほとんど無い。人類の七不思議、その三。
「助かったわ咲夜。ちょっとだけ危ないところだった」
「ごめんごめん。まさかこんなに軽いとは思わなくてね」
 悪びれた様子も無く、レミリアの首の後ろで両手をロック。振り解こうと暴れるレミリアとは対照的に、表情は楽しげで機嫌は良さそうだ。
「軽い……とは?」
「あれ、咲夜知らないんだ? お姉様はね、咲夜にきっついこと言うと――」
「五月蝿いよ」
 体を強引に回転させて反対側を向き、体を沈めて足を払う。僅かに浮いたフランドールの片手を掴み、背中に担いで前方へ放り投げた。一連の動作は咲夜に認識さえ許さない神速であり、放たれたフランドールもまた神速の弾丸と化す。
「……っとと。相変わらず大人気無いね」
 体中が潰れかねないスピードは、だがしかし凶器染みた妖力で瞬く間にゼロになった。慣性までは殺しきれず、結果としてレミリアから五メートル程離れた所に着地する。両足揃えて笑顔でポーズ、文句無しの十点満点。
「どこまで言ったっけ? そうそう、咲夜にきっついこと言うと無防備のふわふわになるって話だったよね。さすがに想定外だったわー」
「そうなのですか?」
 組んだ腕を緩め、きょとんを顔に貼り付ける。怒気を散らされ、説教時間はゼロに確定。
「そうなのですよ、咲夜のことばっかり考えて周囲の警戒が疎かになっちゃうのね。そんなに気になるなら言わなきゃ良いのに」
「私の勝手よそんなこと。それより何? わざわざ飛び出して来たからには、相応の理由があるんでしょうね?」
 半身になり、片目を閉じてフランドールを睨む。今はレミリアの方が高いため、咲夜には分からない程度には見下ろす形になっている。
「いきなり魔法かけといてその言い草は無いんじゃない?」
 レミリアは自分の側頭部を指で何度か叩く。トントンと小気味の良い音を頭の中に反響させ、先程のやり取りを鮮明に思い出す。
 そうした後で眉間に皺を寄せ、すっかり冷静さを取り戻した咲夜の方へ視線をスライドさせた。
「何が一日よ咲夜」
「先程申し上げたのは効果がばれるタイミングですわ。私には魔法の痕跡を隠すことは出来ません」
 復活の涼しげ咲夜。屁理屈はパチュリー仕込み、態度はレミリアの一部分の模倣。それに自身の経験を絶妙の配合でブレンドし、何とも言えない瀟洒な小憎らしさを作り上げた。
 距離を置いてみるとそれなりに格好の良い姿なのだが、こうも近くに居るとその冷静さ、図々しさにうんざりである。
「……もう良いわ。とにかく寝る。寝るったら寝る」
 溜息代わりに小さく欠伸を一つ。適当に添えられた手では口全体は隠しきれず、小さな八重歯が露になった。
 既に二人を置いて歩き出しているため、誰の目にも触れることは無い。
「折角私が出て来たんだからさー、ティータイムのやり直しとか口に出来ないもの――あれ?」
 何もかも面倒臭い、と書かれたレミリアの背中を追いかけようとしたフランドールが突然足を止める。
 身を乗り出して目を細め、目の上に手を当ててレミリアを凝視。
「やっぱり身長伸びてる」
 そんな言葉を、信じられない物を見るような表情で唐突に口にした。
「なっ……」
 驚きが形を成して口から漏れたのは咲夜だけ。レミリアは足を止めてすらいない。
「外れ」
 応答に擁した時間はゼロ。欠片の動揺も無く、予測済みだと言わんばかり。
「違うの? まあ急に伸びる訳無いとは思ったんだけど」
「考えたいなら勝手に考えなさい。私は寝るわ」
「ヒントも無し?」
「いるの?」
「いらない」
 やる気無さそうに手をヒラヒラと振ったレミリアは、結局一度も振り返ることなく曲がり角に消えて行った。

 レミリアの姿が見えなくなるまでずっと凝視していたフランドールは一歩も動いていない。頭の中がクエスチョンで埋め尽くされた咲夜もまた一歩も動いていない。
「靴も一緒、身長が伸びた訳でもない。なのにお姉様の立ち位置が高くなったのは間違いなくて、そもそも魔法をかけられたのは私で――」
 口の中から漏れないように注意して考えを言葉にしながら、思考実験に没頭していく。少し視線を下に向けて口元に手を当てる姿はレミリアに瓜二つだ。服を換えてカツラを被り、羽をどうにかすればレミリアとして十分に通用するだろう。
「……あの、フランドール様」
「うん?」
「どうしてお嬢様が高くなったことが分かったのですか?」
「どうして? どうしてって言われてもね……いつも見てるんだもの、何か変わった所があればすぐ分かるに決まってるじゃない」
 春は桜で冬は雪、とでも言っているかのような響き。ぱちぱちと瞬かれる瞳は、疑問を投げられたこと自体に強い疑問を示している。
「…………!」
「と言ってもどこも変わってな――」
 フランドールの声が消えていく。思考は自動で過去に戻り、言葉を一つずつ反芻し始めていた。
 自分の言葉。レミリアの言葉。そして今のフランドールの言葉。
 これまでの苦戦が嘘のように、瞬く間に答えが組み上がる。ピースは確かに持っていた。一番単純で一番大切なピースを、自ら放り投げていたことにようやく気付いた。

 フランドールは身長差など気にしないと言ったのは他ならない咲夜だった。フランドールが魔法の効果に気付いたところで解除する可能性は低い。
 レミリアは二ミリの身長差を当然のように言い当てて見せた。ならばフランドールにも同様のことが出来ると考えてもおかしくはない。魔法に気付こうと気付くまいと身長差が変化していることにはすぐに気付いてしまうのだから、そのことについて考えること自体が無意味だったのだ。
 そして何より、フランドールが気付くと言った後でレミリアはゴーサインを出した。ゴーサインを出された策が間違っている筈が無い。
 咲夜の一番の失態は、自ら作り出した最善の解決策というピースを不必要な物と認識してしまったこと。レミリアの言葉通り、咲夜は全てのピースを初めから手にしていたのである。

「――ねえ、聞いてる?」
「ええ聞いていますよ、レミリア様と一緒にお茶がしたいということでしたね」
「全然違うけどそれでいいや。それよりさ、私に魔法かけたでしょ? 多分私の足元の空間を弄ってるのね」
 レミリアの身長が伸ばせないのなら、フランドールの身長を下げてしまえば良い。魔法使いではない咲夜には時間と空間を弄ること以外は出来ないから、取れる手段は限られたものにしかならない。
 フランドール自身を弄るのは危険すぎる。だから、出来ることはフランドールの足元にだけ穴を開けて身長が低くなったように見せることのみだ。底の高い靴を履いて高く見せることの逆の発想である。
「分かりますか」
「咲夜に出来ることなんて高が知れてるからね。別に困らないし、咲夜のって何か変だから解析するのも面倒だし放っておいてあげる」
「レミリア様も喜びますよ」
 たった三ミリの穴に足を突っ込んだところで、生活に不便が出るわけではない。変わるのは、互いの身長差くらいのものだ。
「『目』は見えてるし、潰そうと思えば潰せるんだけどねぇ」
「お言葉ですがフランドール様、それは無理に壊すと――」
「床ごと壊れるって言うんでしょ? はいはい本当に咲夜は賢いね」
 軽く息を吸い込んで、これ見よがしに溜息一つ。みるみるお腹がへこんでいく辺りに、溜息の深さと腹式呼吸の上手さが垣間見える。
 抑止力とは相手の行動を抑制する概念である。必ずしも力である必要は無く、確実に真実である必要も無い。一パーセントの大惨事の可能性さえ持っていればそれで十分なのだ。
「話が早くて助かりますわ」
 眉尻を下げて口元を緩め、咲夜には珍しい満面スマイル。初対面でも分かる程の営業用。初対面でなくとも魅了される程に可愛らしいのは、訓練の賜物か素の魅力か。
「誰に似たのよ、そのムカつく顔は」
「…………」
 無言で何度か目を瞬かせ、きょとんとした表情で軽く首を傾げて見せる。表情と仕草で、外見年齢がいくらか低下。目線はフランドールを捉えて離さない。
 曰く。本気で分かってないの? あんただよあんた。
「私のはそんなに憎たらしくないわ」
「私のはあんなに嘘臭くありませんよ」
 瞬間、フランドールの右手の壁から凄まじい轟音。
 無造作に手だけで放った右ストレートで、壁が崩壊していない。穴も無ければ煙も無く、小さな欠片すら見られない。
 咲夜にとっては壁の補修さえゼロ秒仕事。裏では愚痴とただ働きが溢れているが、愉快な程に苦にならない。挑発しておいて苦になったらただのアホだ。
「あーあ、出会った頃のいたいけな咲夜は何処に行ったのかしら。貴方、本当は咲夜の皮被った別モノじゃないの?」
 爪を立てないよう頬の皮を掴み、そのまま引っ張った。あくせく働きまわっているとは思えない滑らかな肌は、肉が少ないことも手伝って面白い程によく伸びる。
「フランドール様、痛いですって」
「どうしてまともに喋れるの!?」
「腹話術」
 紅魔館のメイド長は化け物だ。

「ともかく、それだけ元気ってことは問題は解決したのね?」
「ええ、フランドール様のおかげですよ」
 それは本来レミリアが望んだことではないのだが、夕食の前に問題を解決したのは純然たる事実だ。不測の事態はレミリアの前には存在しないためにペナルティにもなり得ない。見栄を張るのも一長一短。
「咲夜が分かったならお姉様の機嫌も直るかしら」
「どうでしょう、そうコロコロと気分を変える方では無いと思いますが」
「そうよねぇ、意地っ張りだから変わってても変わってないって言うし……今行っても話もしてくれないだろうね」
 ベッドから上半身だけを起こし、二言三言交わした後に向こう側を向いてベッドに倒れ込む姿が鮮明に見える。その後は何を言っても取り合ってもらえず、粘り続けると裏拳が飛んで来るのだ。
 額を赤くしながらすごすごと退散する所までを丁寧に思い浮かべ、二人はくすりと笑みを漏らす。
「それもこれも、みーんな咲夜が悪いんだからね」
「申し訳ありません」
「私だってお姉様のこと好きなんだから、あんまり独占しちゃダメよ」
 言い放ったフランドールより、聞いただけの咲夜の方が表情の変化は大きかった。
 いくらレミリアが聞いていないとはいえ、いくら二人きりとはいえ、唐突に飛び出した言葉はこれ以上無く重要な意味を持っている。自分が聞き間違えたのではないかと疑ってしまいたくなるが、外見不相応な成熟した微笑を湛えたフランドールを見て間違いないと確信した。
「びっくりした? 私はお姉様とは違うんだから。言いたいことはちゃんと言うわ」
「是非レミリア様にもそうするようお願いして下さい」
「ダメよ。そんなお姉様はつまらない」
「……確かに」
 考えたことも無かった。厄介だとばかり思っていたのに、実はそれが大好きだったとは。すっかりレミリアに入れ込んでいることは何となく自覚していたが、思っていた以上にどうしようもないらしい。
 思考と行動が一致しないのは確かに困ったものなのだが、逆のレミリアは想像もしたくない。
 素直なレミリアなど本人であっても偽者だ。面と向かって礼など言われた日には、鳥肌で全身が埋まってしまう。
「酷いこと考えてない?」
「きっと気のせいですよ」

 あまりにわざとらしく目を逸らした咲夜に、フランドールは盛大に笑い声を上げた。







「ところで、どうしてレミリア様を見るまでご自身が低くなっていることに気付かなかったのですか?」
 昼間の約束通り、深夜のお茶会は咲夜とフランドールも加わって三人で行われている。咲夜は当然辞退したのだが、フランドールが強引に押し切った。
「あのね、いくら吸血鬼ったって何でもかんでも分かるわけじゃないの。その辺の椅子とか壁とかが三ミリ高く見えたって分かる訳が無いでしょ」
「でもレミリア様だけは別、と?」
「そう」
「お嬢様も妹様の身長の変化を正確に把握していらっしゃるようですし」
「まあ、ね」
「仲が良いのですね」
 咲夜の言葉に、フランドールは花が咲いたような笑みを浮かべて親指を立てる。
「止めなさいよ馬鹿馬鹿しい」
「……」
 表情こそ変えないもののそっぽを向いたレミリアを更に笑みを深くして見つめながら、
 天に向けた親指を、
 ゆっくりと、
 レミリアに見せ付けるようにゆっくりと、
 下に向けようと手首を捻って、

 音速を超えた紅槍によって壁に磔にされた。

「……外したか」
 投げたままのポーズで、舌打ちを一つ。
「あは、あはは、あははははは」
 ごっそりと抉り取られた胸だった辺りから血を流すのではなく落としながら、磔のフランドールは笑っている。その表情に苦痛の色は無く、声はどこまでも楽しげで。
「……ッ」
 咲夜は頭痛を自覚して頭を押さえた。フランドールの姿に恐怖した訳ではない。確定してしまった未来にうんざりしただけだ。
 何がお姉様とは違うだ馬鹿者め。言葉に出さずに吐き捨てる。
 確かにレミリアとフランドールは似ていない所も多々ある。しかし、甘えられないという点が致命的なまでに似通っていた。そして異常なまでに好戦的であるという点と、他人の迷惑を全く省みないという点も。
「しばらく消えてなさい」
「程々にして下さいね」
 言葉だけを残し、咲夜の姿が掻き消える。ティーセット一式にテーブルと椅子まで姿を消し、ついでと言わんばかりに周りの風景までが消えていた。
 空間をずらして隔離する、咲夜に可能な最も大掛かりな魔法。負担も非常に大きいものになってしまうが、やらなければ紅魔館どころか土地そのものが消滅しかねない。
「いつまでもしつこいね。いい加減消えなさい」
 壊れたカセットテープのように笑い声をリピートしていたフランドールが薄くなっていく。みるみるうちに背後が透ける程に希薄になり、そして消滅した。
 レミリアは既にそれに背を向けている。妖力の残骸が消えていく様など、見ていても少しも面白くない。
「ああ、愛しのお姉様」
「こんな所じゃ月が見えないのが残念だけど」
「一緒に踊りましょう、そうしましょう」
 レミリアから見て、左手、右手、前方。三人のフランドールが、紅い目をぎらつかせて笑っている。満月より小さくて何の力も与えてくれない六つの紅い目は、けれど満月よりも血が滾る。
「全く。そんなだからはしたないって言うんだよ」
 声色だけは落ち着いているが、レミリアの口元は見えない糸に引っ張られたかのように吊り上っている。何気無く曲げ伸ばしされる指は、力の入れ過ぎで動かす度にバキバキと音を立てていた。

 これは喧嘩ですらない、ただの戯れだ。だからスペルカードなど準備する必要は無く、弾幕を生成する必要も無い。
 三人になったフランドールがそれぞれ莫大な炎の塊を携えていても、絶大な紅い妖力を十字に噴出するレミリアが辺りを紅く書き換え始めても、人間であれば万回死んで尚余りある力をぶつけ合っても、誰に怒られることもない。
 耳をつんざく爆音と風切り音をBGMに、踊るは破壊、再生、逆襲のワルツ。
 突如として始まり飽きるまで続く、傍迷惑で桁違いな、恐らく仲の良い姉妹の戯れ。


こんぺ投稿第二段。の修正版。思わせぶりな所を削除して咲夜とフランドールの絡みを少し増量してます。
思わせぶりなところ、意味は間違いなくあったのですが覚えてません。確かSS自体とはあまり関係が無かったような……。
両論でしたが後書きは必須です。例え無い方が締まるとしても(実は自分でもそう思うのですが)これは絶対に外せない。
これが無いと彼女たちが彼女たちでなくなってしまうと、私はそう思います。