「ちょっと出かけて来るから、留守番お願いね」

 パチュリー様は、唐突にそんなことを言った。

「今から、ですか? 随分と急ですね」
「博麗神社で月見だそうよ」
「へぇ、月見ですか。ああ、そういえば今日は満月でしたね」

 私は仕事柄外に出る機会があまり無い。だから、月の満ち欠けなんかじゃなくて日付さえ忘れることもしょっちゅうだった。
 私が外に出るのは、たまーに散歩に出かけるパチュリー様の付き添いくらい。

「そんなわけでちょっと行って来るから。戸締りの確認を忘れないように」
「戸締り……?」

 聞き慣れない単語に疑問符が浮かび、オウム返しに聞き返す。
 一つしかない図書館の扉はパチュリー様が常に結界で封印している。
 だから私には戸締りなんて出来ないし、そんな言葉をパチュリー様から聞かされたのは初めてだった。

「ここじゃなくて、紅魔館のよ。……ああ、そういえば言ってなかったわね」

 パチュリー様は気だるげに一つため息をついて、何でもないことのようにいつもの表情で言った。

「今夜、この館にはあなたしかいないのよ」
「…………?」
「レミィたちは客として、メイドたちは色んな雑用役として呼ばれてるの。あのスキマ妖怪が適当に人集めたらしくて、結構大変だからって」
「…………」

 パチュリー様の言葉を一つずつ噛み砕いて飲み込んでゆく。
 えっと、今夜はみんな神社に行くから、この館には私一人だけ――

「えっ、えええええええええええええええぇぇぇ!?」

 とりあえず叫んでみた。

「……何大きな声出してるのよ」
「いやぁ、驚いた時は大きな声を出すって相場が決まってるじゃないですか」
「あら、あなた驚いてるの?」
「もちろん驚いてますよ。だって初めてですよ、私一人しかいない夜なんて」

 もうパチュリー様に仕えてそれなりになるけど、本当に私一人しかいない状況は初めて。
 そもそも、ほんの少し前までは館の住人が外に出かけること自体が稀だった。
 それが劇的に変わったのは、やっぱりあの夏からだと思う。
 魔理沙さんや霊夢さんが館に訪れるようになってから、館の中が少し明るくなった気がする。
 パチュリー様もメイド長も、あまり会うことは無いけどレミリアお嬢様も、その時を境に随分と丸くなった。
 以前パチュリー様にそう言った時は……あれは忘れよう。きっと夢だから。

「初めてでも初めてじゃなくてもいいのよ。あなたがすべきことは戸締りの確認。戸締り自体は咲夜がやってくれるから、鍵のかけ忘れが無いかどうか確認しておくこと。いい?」
「はい。分かりました」

 紅魔館は窓がとても少ない。だから確認はきっと楽々。
 それ以前に、あのメイド長がそんな簡単な失敗をするとは思えないけど。

 密かに憧れているメイド長の姿を思い浮かべる。
 大体はレミリアお嬢様の側にいるからそこまで多く目にすることは無いけど、たまに見るといつもかっこいい。
 パチュリー様に紅茶や珈琲を出すのを見る度に思う。
 いつかあの場所に私が居られるように頑張ろう、って。

「じゃあ、行って来るから。多分昼ごろまで戻らないけど、掃除サボったら許さないわよ」
「わ、分かってますよぉ」

 ふふふ、と意地の悪い笑みを浮かべるパチュリー様がちょっと怖くて、私は半歩だけ後ずさった。

「ああ、それとレミィからの伝言」

 背を向けて歩き出したパチュリー様は、私の方を振り向かずに言った。
 それは本当に珍しいこと。パチュリー様が視線をこちらに向けずに話すのは随分と久しぶりのことだと思う。

「使う前より綺麗にするなら、各々の私室以外はどこを使ってもいいって」
「え……?」
「あなたも一応悪魔なんだから。たまには月の光でも浴びなさいってことよ」

 ぱぁっ。がちゃ、ばたん。

 私はぼけーっと立ち尽くしたまま、パチュリー様が出て行くのを見送った。

「私室以外は、どこを使ってもいい?」

 それは、つまり。

「テラスを使って良いってことだ!」

 いつもレミリアお嬢様が紅茶を飲んでいる屋上のテラス。
 パチュリー様の付き添いでたまに行くことがあるけど、あそこから見る月は本当に絶品。
 いつかこっそり行ってみようとずっと思ってた憧れの場所。
 そこで思いっきり月見が出来る……!

「ありがとうございます、レミリアお嬢様!」

 私は居もしないお嬢様に何度も頭を下げた。
 私のような悪魔にも気を使ってくれたことが、凄く嬉しかった。

「おっ酒、おっ酒。上等なワイン、空けちゃわなくて良かったぁ」

 適当な歌を歌いながらお酒の準備。
 図書館と繋がっている自分の部屋から新品のワインとグラスを引っ掴み、目指すは一路、屋上のテラス!

「…………」

 の、前に。

「どうしよう。折角のチャンスなのに出られない……」

 図書館の扉は、パチュリー様が結界で封じている。
 そのパチュリー様はとっくに神社に行ってしまった。
 そして私は、一つしかない扉の前で立往生。
 迂闊には触れない。パチュリー様の結界はとても強くて、私なんかじゃすぐに気絶しちゃうから。

「あーもー、何か仕事がある時は開けておいてくれるのに!」

 地団太を踏んでも、扉はうんともすんとも言ってくれない。
 何故かさっきの意地悪そうな顔をしたパチュリー様が思い浮かんだ。妙に鮮明だった。


 パチュリー様が扉を閉めた後に、ぱぁっという結界が発動する音が聞こえなかったことを思い出すのはそれから二十分後のことだった。





 戸締りの確認はつつがなく終わった。どこも異常無し。

 あまりお酒に強くないから何か摘む物を準備しようとして、止めた。
 勝手に台所の物を使うわけにはいかないし、やっぱり今日は月を肴に飲みたい。





「うわぁ……」

 思わずため息が出た。
 空には大きくて、まん丸で、凄く明るい綺麗な月。
 周りにたくさん散らばっている星たちは、月を引き立てるように少し控えめに輝いてる。
 砂金の群れ、たった一つの宝石、それらを包み込む黒のショーケース。
 全部、私のためにあるような気がした。
 レミリアお嬢様みたいに偉くなったような気がして、ちょっぴり嬉しかった。

 ワインをグラスに注ぎ、そっと口に流し込む。

「ん、はぁ……ちょっと、強い」

 そんなに飲んでないのに、少し頭がクラッとした。
 アルコールは結構ご無沙汰だったから、前よりもっと弱くなったのかも。

 グラスを持つ手はそのままに、椅子に体重をかけて体を反らした。
 大きな、大きな満月。それを見てるだけで、こうしてその光を全身に浴びているだけで、体が内側から洗われていくような気がした。
 やっぱり偶にはこうして月見をしなきゃダメみたい。
 神社で同じ月を見上げているはずのレミリアお嬢様に、もう一度大きく頭を下げた。


 何も考えずに月を眺めていた。
 ぼーっと月を見つめて、気が向いたらワインをちょっと飲む。
 だんだんぼやけていく意識は必死にかき集めた。
 だって、こんな良い夜次はいつになるか分からない。途中で眠ってしまうなんて、勿体無さすぎて出来なかった。








「あれ……終わっひゃった」

 ワインがなくなっちゃった。ほとんどぜんぶひとりでのんじゃったみたい。
 あんまりのめないとおもったのに。きっとこんなにすてきなよるだから。
 つきのじかんはもうすぐおわり。あとちょっとしたら、あっちのほうからたいようがでてくるとおもう。

「とっへもいい夜でしたねぇ、パチュリーさ」

 ま、といいかけてことばにつまる。
 となりでほんをよみながらのんでいたはずのパチュリーさまは、いつのまにかいなくなってた。

「パチュリーさま……?」

 ぱちゅりーさまはほんをよんでばっかりだから、わたしとあんまりおしゃべりはしない。
 でも、わたしはぱちゅりーさまがそばにいてくれるだけでしあわせ。だって、ぱちゅりーさまのことだいすきだもん。

「あー、もしかしてかくれんぼですかぁ? ぱちゅりーさまも子供ですねぇ」

 ちょっとあたまがふらふらするけど、ぱちゅりーさまをさがしにいかなきゃ。
 ほんと、いっつもじぶんかってなんだから。つかまえてもんくいってやる。

「あっ」

 たちあがったとたん、あしがもつれてころんだ。
 てーぶるのうえのなにかをうでではじきとばしたみたい。ぱりんって、いいおとがした。

「ぱちゅりーさま、だいすき……」





「……」

 気が付いたら、自分の部屋の見慣れた天井を見上げていた。
 確かテラスでワインを飲んでたはずなんだけど……。

「っ……! ちょ、あたま……!」

 体を起こそうとして、もの凄い不快感に意思が負けた。
 ちょっと頭を上げただけで、額の辺りを締め付けられるような最悪な感覚が襲ってきた。
 頭が重い。頭に血が全部集まってるみたいにクラクラする。
 この症状は何度か経験がある。これは病気なんかじゃなくて――

「二日酔い。原因はアセトアルデヒドの血液残留。……飲みすぎよ。大して強くもないくせに何も食べずにワイン一本空けるなんて、何考えてるの」

 すぐ脇から、聞き慣れた声。
 視線だけを横にずらすと、いつもの姿が確認できた。
 分厚い本に視線を落とし、真剣とつまらないの境目のような表情をした、私のご主人様。

「あ、おはようございますパチュリー様。もう帰ってたんですね」
「…………」

 パチュリー様は私の方を一瞬険しい表情で見たかと思うと、手元の懐中時計を私の方へと投げた。

「わっ、わっ……」

 何とか落とさずにキャッチ。見ろということだと思うので、丁寧な細工の施された蓋を開く。

「一時二十分……。ああ、もうお昼過ぎなんですね。ちょっと眠りすぎちゃいました」
「何も分かってないのね、本当に」

 パチュリー様はため息と共に本を閉じ、面倒そうに言った。

「午後じゃなくて午前一時二十分。十六夜の月が綺麗よ」
「…………はい?」
「まだ分からない? あなたは丸一日眠っていたのよ」
「……………」

 私が見たのは十五夜の月。で、今は十六夜の月が出ていると。時間は一時半少し前。
 ええと、つまり。

「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇ!!!!!!?」

 思わず叫んでいた。
 驚いた時に大きな声を出すのは本当のこと。自分で証明したんだから間違いない。今度誰かに教えてあげよう。

「あの、その、すみませんでした! すぐ掃除を――」

 慌てて体を起こそうとして、やっぱり枕に逆戻り。
 無理。あまりにも無理すぎる。
 体を起こすだけでも死んでしまいそうなのに、掃除なんて出来るわけが無い。

「いいから、今日はそのまま寝てなさい。ああ、寝る前にそれを飲んでおくこと。二日酔いに効く薬よ」

 パチュリー様の指の方へ視線を移すと、コップに入った水と二つほどの固形の薬が目に入った。

「あ、ありがとうございます」
「明日まで引き摺られちゃ困るのよ。誰が掃除すると思ってるの?」
「……あはは」

 ふと、気付く。
 用件は済んだと言わんばかりに本を持って立ち上がるパチュリー様の指に、昨日までは見当たらなかった包帯が。

「あの、パチュリー様」
「何よ」
「その指、どうなされたんですか?」
「別に。ちょっと切っただけよ」

 いつも以上に素っ気無いその返事は、少しだけ不自然な気がした。
 どこがどう不自然なのかは、さっぱり分からなかったけど。

 バタン、と少し慌しくドアが閉まる。どちらかといえば静かな方が好きなパチュリー様にしては珍しいことなんだけど、ガンガンする頭では理由なんて何も考えられなかった。
 吐き戻しそうになりながら薬を飲むと、すぐに眠くなってきた。
 多分、薬が睡眠薬も兼ねてるんだと思う。体調が悪い時でも本を読みたがるパチュリー様に時々使うから、そこらへんはよく分かってるつもり。

 そういえば、と眠るまでの僅かな時間に思った。
 私を部屋まで運んでくれたのは、一体誰なんだろう?
 明日、きちんとお礼を言わなくちゃ……。


小悪魔ちゃん、それなりに幼め。
ごみちん氏の絵を見てから書き始めたのは間違いなく、校正もしてないらしいですが睡眠も含めて十六時間弱で書き上げた自分に嫉妬。
速度は全然大したこと無いですが今の私には集中力と持続力がありません。うぅむ。